地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | SG-0415 | 学校での遺体の火葬。焼け残った部分をカラスが食べに来た | 村上 凡子(ムラカミ ナミコ) | 1945/8/7~15 | 広島女子専門学校 | |
22 | SG-0617 | わずかばかり焼け残った服の柄で夫の遺体を見つけ、泣き叫ぶ女性 | 多田 キクエ(タダ キクエ) | 1945/8/7 | 広島陸軍共済病院 | |
23 | SG-0421 | 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋東詰 | |
24 | NG292-01-21 | 広島港から船で矢次さんの下宿のある似島に向かう。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/7 | 広島港 | |
25 | NG176-04 | 島の人たちも、仕事や学校で広島に出ていた。「一刻も早く帰りたい」と広島港桟橋へ向かった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 宇品海岸通 | |
26 | NG176-03 | 広島港の市営桟橋にはたくさんの負傷者がいた。皆焼けただれてふくれあがり男女の区別もつかなかった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 広島港市営桟橋 | |
27 | GE44-35 | 死体を舟に山積にして運びだしていた | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/8/7 | 広島港、宇品陸軍桟橋 | |
28 | GE41-17 | 負傷して机の上に寝かされた所長 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 宇品十一丁目 住宅営団広島支所 | |
29 | GE33-10 | 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック | 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) | 1945/8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
30 | GE20-11 | 無数の被災者を舟で似島に運ぶ | 花里 儀一(ハナサト ギイチ) | 1945/8/7 | 広島港、宇品東浮桟橋 | |
31 | GE36-49 | 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6~8/8 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 | |
32 | GE45-21 | 縮景園付近で被爆、常葉橋北の川原で午後四時まで待ち鶴見橋の方へ逃げる | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
33 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 | |
34 | SG-0635 | 8月6日の夜空。空が二つに分かれていた | 切明 千枝子(キリアケ チエコ) | 1945/8/6 | 皆実町上空 | |
35 | SG-0559 | 火傷の治療後、小型船に乗った | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品港埠頭 | |
36 | SG-0460 | 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 凱旋門会館内 | |
37 | SG-0435 | 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 広島港埠頭(凱旋門会館前) | |
38 | SG-0420 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
39 | SG-0419 | 被爆直後の広島逓信講習所 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
40 | SG-0326 | 命の氷 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品駅付近 |