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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 GE20-11 無数の被災者を舟で似島に運ぶ 花里 儀一(ハナサト ギイチ) 1945/8/7 広島港、宇品東浮桟橋
102 GE33-10 負傷者を看護する兵隊、死体を安置所から金輪島に運ぶトラック 道田 芳江(ミチダ ヨシエ) 1945/8/7 陸軍船舶司令部(暁部隊)
103 GE41-17 負傷して机の上に寝かされた所長 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/7 宇品十一丁目 住宅営団広島支所
104 GE44-35 死体を舟に山積にして運びだしていた 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/8/7 広島港、宇品陸軍桟橋
105 NG176-03 広島港の市営桟橋にはたくさんの負傷者がいた。皆焼けただれてふくれあがり男女の区別もつかなかった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 広島港市営桟橋
106 NG176-04 島の人たちも、仕事や学校で広島に出ていた。「一刻も早く帰りたい」と広島港桟橋へ向かった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 宇品海岸通
107 NG292-01-21 広島港から船で矢次さんの下宿のある似島に向かう。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島港
108 SG-0421 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋東詰
109 SG-0617 わずかばかり焼け残った服の柄で夫の遺体を見つけ、泣き叫ぶ女性 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/7 広島陸軍共済病院
110 SG-0415 学校での遺体の火葬。焼け残った部分をカラスが食べに来た 村上 凡子(ムラカミ ナミコ) 1945/8/7~15 広島女子専門学校
111 GE35-06 収容された負傷者で足の踏場もない倉庫、夫を火葬する 落合 フミコ(オチアイ フミコ) 1945/8/8 広島陸軍被服支廠
112 NG267-10 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/8 陸軍船舶司令部の兵舎
113 NG292-01-27 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 路面電車の線路の両側の歩道
114 NG304-08 子どものために炊事をしている女性。手当てしたあともなくやけどの傷をむき出しにしていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 広陵中学校近く
115 NG304-09 病院の横の道路わきには生きているのか死んでいるのか見当もつかない人が並べられていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 宇品町
116 SG-0618 必死に母を求めながら亡くなった女学生 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/8 広島陸軍共済病院
117 SG-0562 「冷たいミカン」 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/9 宇品町 暁部隊
118 WH04-006 宇品周辺 古谷 稔(フルタニ ミノル) 大正12年頃 丹那橋
119 WH02-003 宇品湾でのボートレースの思い出 折田 憲三(オリタ ケンゾウ) 大正14年頃 広島港
120 WH07-021 宇品西堤防 中村 マサノ(ナカムラ マサノ) 大正初期 宇品西堤防

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