地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
81 | NG326-02 | 夜あちこちで遺体が荼毘に付され、やけどや傷を負った人々のうめき声が聞こえた。 | 吉岡 隆子(ヨシオカ タカコ) | 1945/8/6 | 宇品の土手 | |
82 | NG384-01 | かすかなブーンという音に私は双眼鏡を持って庭の柿の木に登った。あれは日本の飛行機ではない。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
83 | NG384-02 | 柿の木を下りて縁側横に立ち庭をふと振り返ったとたんピカッと光った。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
84 | NG384-03 | ドーンという音とともに屋根瓦がガラガラと雨のように目の前に落ちてきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 | |
85 | NG384-04 | 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町弥生通り | |
86 | NG406-01 | 水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。 | 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) | 1945/8/6 | 広島陸軍被服支廠 | |
87 | NG432 | 宇品から似島検疫所に船で負傷者を運ぶ。皆全裸でやけどし水を欲しがっていた。3日間作業は続いた。 | 福田 安次(フクダ ヤスジ) | 1945/8/6 | 広島港 | |
88 | NG457-01 | 金輪島から見たきのこ雲 | 斉藤 敬一(サイトウ ケイイチ) | 1945/8/6 | 金輪島 | |
89 | SG-0169 | みんな逃げて来る | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 出汐から皆実町に行く途中 | |
90 | SG-0170 | ペチャンコの寄宿舎 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 皆実町広島師範学校予科寮倒壊現場 | |
91 | SG-0326 | 命の氷 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品駅付近 | |
92 | SG-0419 | 被爆直後の広島逓信講習所 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
93 | SG-0420 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
94 | SG-0435 | 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 広島港埠頭(凱旋門会館前) | |
95 | SG-0460 | 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 凱旋門会館内 | |
96 | SG-0559 | 火傷の治療後、小型船に乗った | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 宇品港埠頭 | |
97 | SG-0635 | 8月6日の夜空。空が二つに分かれていた | 切明 千枝子(キリアケ チエコ) | 1945/8/6 | 皆実町上空 | |
98 | GE44-69 | 宇品の陸軍船舶司令部に収容され、三日目にようやく治療を受ける、その後坂の国民学校に移送される | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~1945/8/13 | 陸軍船舶司令部 | |
99 | GE45-21 | 縮景園付近で被爆、常葉橋北の川原で午後四時まで待ち鶴見橋の方へ逃げる | 香川 勇(カガワ イサム) | 1945/8/6~8/7 | 陸軍船舶司令部(暁部隊) | |
100 | GE36-49 | 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 | 島川 六男(シマカワ ムツオ) | 1945/8/6~8/8 | 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫 |