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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 NG304-03 何秒かが過ぎ黄色の火の中に飛び込んだ感じだった。音はまったくわからず爆風が過ぎるまでの記憶がない。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
62 NG304-02 運動場から旋回するB29を見る。誰かが「B29が何かを落とした。」と叫んだ。しかし私には何も見えなかった。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/6 広島逓信講習所
63 NG302 きのこ雲が西に流れ民家は崩れて土煙がすごかった。やけどした市民が声もなくゆうれいのように歩いていた。 岩澤 弘(イワサワ ヒロシ) 1945/8/6 宇品七丁目
64 NG292-01-27 路面電車の線路の歩道に真っ白なにぎり飯が並べてあったが、すでにくさっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 路面電車の線路の両側の歩道
65 NG292-01-21 広島港から船で矢次さんの下宿のある似島に向かう。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島港
66 NG284-01 司令部の門前には負傷者が横たわっていた。赤ん坊が泣き出し母親は私たち兵隊をにらんだ。 田口 清三郎(タグチ セイザブロウ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部門前
67 NG280-03 被服支廠で治療を受ける。翌朝大きな穴で遺体が火葬されるのをただぼう然とながめた。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
68 NG278-01 祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。 八島 猛(ヤシマ タケシ) 1945/8/6 皆実町
69 NG267-10 頭痛、めまい、下痢、吐き気を伴う食欲不振で起きられず兵舎で寝る。終日38度くらいの発熱に悩まされた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/8 陸軍船舶司令部の兵舎
70 NG267-08 中学生らしい少年は頭は包帯でまかれ手と足も包帯に血がにじみ皮膚は真っ黒に焼けていた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
71 NG267-07 部隊の兵舎が仮設の救護所となり、多数の負傷者がトラックや担架で運ばれてきた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(仮設救護所)
72 NG267-06 練兵場から兵舎の近くへ退避した。強烈な稲妻と雷鳴が地に響き夜明けのような光景にニワトリが鳴いた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
73 NG267-05 突然閃光と爆発の強音に地面が揺れた。空を見上げると巨大な雲が急速に上っていききのこ雲となった。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
74 NG267-04 突然機影が現れ刃物のように鋭く光った。パラシュートが2つか3つ降りてくる。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
75 NG267-03 練兵場の朝礼。訓話が始まってまもなく爆音が聞こえた。雲の辺りだが機影は見えない。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部
76 NG267-02 兵器庫の事務室で作業をしながら出られなかった朝礼に出る気になった。これが運、不運の岐路となる。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(兵器庫事務室)
77 NG267-01 兵器庫の横の空き地で支給された兵器を点検している兵士たち 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/6 陸軍船舶司令部(暁部隊)
78 NG260 きのこ雲 堀家 久志(ホリケ ヒサシ) 1945/8/6 陸軍船舶砲兵教導連隊
79 NG251-02 自宅を中心とした皆実町から宇品町付近の略図。 住田 和之(スミダ カズユキ) 皆実町~宇品町付近
80 NG224 家の前をケガやヤケドをした人々が安全な場所を求めて苦しそうに逃げて来た。 内海 昭子(ウツミ アキコ) 1945/8/6 皆実町二丁目

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