地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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NG384-04 | 数時間後、雑魚場町へ建物疎開作業に行っていた母がやけどを負い帰ってきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町弥生通り |
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NG384-03 | ドーンという音とともに屋根瓦がガラガラと雨のように目の前に落ちてきた。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 |
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NG384-02 | 柿の木を下りて縁側横に立ち庭をふと振り返ったとたんピカッと光った。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 |
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NG384-01 | かすかなブーンという音に私は双眼鏡を持って庭の柿の木に登った。あれは日本の飛行機ではない。 | 古林 和夫(コバヤシ カズオ) | 1945/8/6 | 翠町の自宅 |
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WH03-007 | 宇品港の思い出 | 原田 照美(ハラダ テルミ) | 昭和14年末 | 宇品港 |
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WH12-004 | 広島陸軍被服支廠付近でお手玉をする子どもたち | 原田 みどり(ハラダ ミドリ) | 大正~昭和初期 | 広島陸軍被服廠付近 |
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NG176-04 | 島の人たちも、仕事や学校で広島に出ていた。「一刻も早く帰りたい」と広島港桟橋へ向かった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 宇品海岸通 |
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NG176-03 | 広島港の市営桟橋にはたくさんの負傷者がいた。皆焼けただれてふくれあがり男女の区別もつかなかった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 広島港市営桟橋 |
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GE08-47 | 全身火傷で腸が腹からぶら下がりながら歩く男性 | 初谷 忠曷(ハツヤ タダカツ) | 1945/8/6 | 宇品十三丁目電停前 |
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SG-0635 | 8月6日の夜空。空が二つに分かれていた | 切明 千枝子(キリアケ チエコ) | 1945/8/6 | 皆実町上空 |
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SG-0416 | 校庭で友達を焼いた日 | 切明 千枝子(キリアケ チエコ) | 1945/8 | 県立広島第二高等女学校 |
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GE41-17 | 負傷して机の上に寝かされた所長 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 宇品十一丁目 住宅営団広島支所 |
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NG224 | 家の前をケガやヤケドをした人々が安全な場所を求めて苦しそうに逃げて来た。 | 内海 昭子(ウツミ アキコ) | 1945/8/6 | 皆実町二丁目 |
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NG278-01 | 祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/6 | 皆実町 |
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WH05-001 | 広島港 | 兜山 年子(カブトヤマ トシコ) | 広島港 | |
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NG406-01 | 水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。 | 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) | 1945/8/6 | 広島陸軍被服支廠 |
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NG251-02 | 自宅を中心とした皆実町から宇品町付近の略図。 | 住田 和之(スミダ カズユキ) | 皆実町~宇品町付近 | |
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GE13-43 | 広島被服支廠内多くの学徒動員が水をほしがって死んでいった | 井上 ツワノ(イノウエ ツワノ) | 1945/8/6 | 広島陸軍被服支廠 |
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SG-0421 | 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋東詰 |
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SG-0420 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 |