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原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 GE01-17 水を求めながら防空ごうの中で死んでいった被爆者達、死んだ母親の乳をすう赤ん坊 大川 哲也(オオカワ テツヤ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠付近
42 GE01-36 真赤に焼ける中心部を皆実町よりながめる 大川 哲也(オオカワ テツヤ) 1945/8/6 皆実町
43 WH02-029 陸軍被服廠裏の川での思い出 大川 哲也(オオカワ テツヤ) 陸軍被服廠
44 NG280-03 被服支廠で治療を受ける。翌朝大きな穴で遺体が火葬されるのをただぼう然とながめた。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/6 広島陸軍被服支廠
45 GE23-14 手当を求めて集って来た火傷の人々が死んでいった。 太田 勝子(オオタ カツコ) 1945/8/6 広島陸軍共済病院
46 GE43-24 死体を積んだトラックの中で水が欲しいと手を振っていた女性、顔も体も真黒に焼けていた中学生6人 太田 勝子(オオタ カツコ) 1945/8/6 広島陸軍共済病院前
47 SG-0037 皆実町ガス会社付近 小尻 勉(コジリ ツトム) 皆実町ガス会社付近
48 WH13-005 宇品のボラ舟 小野 勝(オノ マサル) 昭和初期 宇品町
49 SG-0326 命の氷 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 宇品駅付近
50 SG-0435 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 広島港埠頭(凱旋門会館前)
51 SG-0460 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 凱旋門会館内
52 SG-0559 火傷の治療後、小型船に乗った 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 宇品港埠頭
53 SG-0592 焼土からアミノ酸の焼結物を発見し、代用醤油を製造した 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/11~12頃 皆実町、宇品港
54 GE41-49 橋上の直後の人々、救護所で道行く人に乾パンを配給する 山根 力男(ヤマネ リキオ) 1945/8/6 御幸橋東詰、広島地方専売局南角の交差点
55 WH03-046 遊覧飛行機墜落 山根 力男(ヤマネ リキオ) 昭和3年5月 皆実国民学校校庭
56 NG302 きのこ雲が西に流れ民家は崩れて土煙がすごかった。やけどした市民が声もなくゆうれいのように歩いていた。 岩澤 弘(イワサワ ヒロシ) 1945/8/6 宇品七丁目
57 GE36-49 倉庫に収容された人々、中学生や母親に抱かれた乳飲み子 島川 六男(シマカワ ムツオ) 1945/8/6~8/8 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫
58 GE39-25 軍上陸用舟艇で桟橋に運ばれてきた負傷者達 島川 六男(シマカワ ムツオ) 1945/8/6 陸軍運輸部金輪島工場物品倉庫
59 WH13-007 宇品町の電車道 島川 六男(シマカワ ムツオ) 昭和2年8月頃 宇品町の電車道
60 WH02-007 広島港の思い出 川上 恵美香(カワカミ エミカ) 戦前 広島港

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