地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | WH08-025 | 宇品糧秣支廠の屠殺場 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和13年 | 宇品陸軍糧秣支廠 | |
2 | WH14-114 | 皆実町付近 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和10年 | 皆実町周辺 | |
3 | WH14-115 | 広島港は兵隊のみならず馬もでた | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和15年頃 | 宇品港 | |
4 | GE08-22 | 収容者名簿の掲示板を見てため息をつく人々 | 下谷 軍一(シモタニ グンイチ) | 1945/8/12 | 宇品町東部桜土手付近 | |
5 | GE02-15 | リヤカーに子どもを乗せて運ぶ婦人,海岸に並べられた負傷者 | 中島 ツルヨ(ナカシマ ツルヨ) | 1945/8/6 | 広島陸軍軍需輸送統制部 | |
6 | NG202-03 | 陸軍船舶司令部前の桟橋には人々が折り重なって倒れ救援の船を待っていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部 | |
7 | NG202-04 | 歩いている人はみな桟橋に向かっていた。倒れている人も桟橋を向いていた。そして水、水と言っていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 陸軍船舶司令部 | |
8 | NG202-05 | 防火用水槽では十数人が折り重なっていた。幼児を胸に抱いて母親が絶命していた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 宇品一丁目 | |
9 | WH07-021 | 宇品西堤防 | 中村 マサノ(ナカムラ マサノ) | 大正初期 | 宇品西堤防 | |
10 | SG-0419 | 被爆直後の広島逓信講習所 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
11 | SG-0420 | 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/6 | 宇品町 広島逓信講習所 | |
12 | SG-0421 | 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋東詰 | |
13 | GE13-43 | 広島被服支廠内多くの学徒動員が水をほしがって死んでいった | 井上 ツワノ(イノウエ ツワノ) | 1945/8/6 | 広島陸軍被服支廠 | |
14 | NG251-02 | 自宅を中心とした皆実町から宇品町付近の略図。 | 住田 和之(スミダ カズユキ) | 皆実町~宇品町付近 | ||
15 | NG406-01 | 水を求める学徒たちの声が倉庫に響く。1人1人に名前を聞いてまわる。死んだ母親の乳を吸う赤ん坊。 | 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) | 1945/8/6 | 広島陸軍被服支廠 | |
16 | WH05-001 | 広島港 | 兜山 年子(カブトヤマ トシコ) | 広島港 | ||
17 | NG278-01 | 祖父が畑に用意してくれた寝床で家族4人で野宿する。火災で夜空は真っ赤に染まっていた。 | 八島 猛(ヤシマ タケシ) | 1945/8/6 | 皆実町 | |
18 | NG224 | 家の前をケガやヤケドをした人々が安全な場所を求めて苦しそうに逃げて来た。 | 内海 昭子(ウツミ アキコ) | 1945/8/6 | 皆実町二丁目 | |
19 | GE41-17 | 負傷して机の上に寝かされた所長 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/7 | 宇品十一丁目 住宅営団広島支所 | |
20 | SG-0416 | 校庭で友達を焼いた日 | 切明 千枝子(キリアケ チエコ) | 1945/8 | 県立広島第二高等女学校 |