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トップページ原爆の絵地図 "皆実・宇品地区"

原爆の絵

地図 "皆実・宇品地区" で 130 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
101 SG-0416 校庭で友達を焼いた日 切明 千枝子(キリアケ チエコ) 1945/8 県立広島第二高等女学校
102 SG-0419 被爆直後の広島逓信講習所 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/6 宇品町 広島逓信講習所
103 SG-0420 5分前までいた廊下で被爆していたら無事ではすまなかっただろう 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/6 宇品町 広島逓信講習所
104 SG-0421 御幸橋東詰で「罹災証明書」を渡す警察官 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋東詰
105 SG-0435 凱旋館で暁部隊から治療を受ける。海岸に出ると治療を終えた人たちが、仮設屋根の下で休んでいた。 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 広島港埠頭(凱旋門会館前)
106 SG-0460 宇品凱旋館の中でアカチンを塗ってもらい、少しの間休む 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 凱旋門会館内
107 SG-0559 火傷の治療後、小型船に乗った 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 宇品港埠頭
108 SG-0562 「冷たいミカン」 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/9 宇品町 暁部隊
109 SG-0592 焼土からアミノ酸の焼結物を発見し、代用醤油を製造した 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/11~12頃 皆実町、宇品港
110 SG-0617 わずかばかり焼け残った服の柄で夫の遺体を見つけ、泣き叫ぶ女性 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/7 広島陸軍共済病院
111 SG-0618 必死に母を求めながら亡くなった女学生 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8/8 広島陸軍共済病院
112 SG-0619 防空壕へ患者たちを避難させる 多田 キクエ(タダ キクエ) 1945/8 広島陸軍共済病院
113 SG-0635 8月6日の夜空。空が二つに分かれていた 切明 千枝子(キリアケ チエコ) 1945/8/6 皆実町上空
114 WH01-044 広島港でのボートレースの思い出 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) 広島港
115 WH02-003 宇品湾でのボートレースの思い出 折田 憲三(オリタ ケンゾウ) 大正14年頃 広島港
116 WH02-007 広島港の思い出 川上 恵美香(カワカミ エミカ) 戦前 広島港
117 WH02-029 陸軍被服廠裏の川での思い出 大川 哲也(オオカワ テツヤ) 陸軍被服廠
118 WH03-007 宇品港の思い出 原田 照美(ハラダ テルミ) 昭和14年末 宇品港
119 WH03-046 遊覧飛行機墜落 山根 力男(ヤマネ リキオ) 昭和3年5月 皆実国民学校校庭
120 WH04-006 宇品周辺 古谷 稔(フルタニ ミノル) 大正12年頃 丹那橋

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