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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
1 NG052-03 黒焦げとなって倒れていた軍馬の死体。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 大手町六丁目辺り
2 NG292-02-13 黒こげのカボチャを食べている人たちがいたが、明け方にはみな苦しんで死んでしまった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
3 NG292-02-14 黒こげのカボチャを食べていた人たちは死んでしまった。死体は緑色に見えた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
4 GE18-22 黄土色に濁った水の中に背中が乳白色の魚が何匹も泳いでいた 原 美味(ハラ ヨシミ) 南大橋付近
5 WH11-076 鷹野橋電停 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和12年12月 鷹野橋電停
6 WH10-018 鷹野橋野菜市場 辰岩 秀子(タツイワ ヒデコ) 昭和19年2月頃 鷹野橋野菜市場
7 SG-0423 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
8 SG-0424 鷹野橋付近。トラックに遺体を乗せていく暁部隊の兵士 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
9 SG-0425 鷹野橋、臨時救護所。「大竹応援隊」「廿日市応援隊」などの腕章もみられる。おむすびなどを手渡していたが、ほとんどの負傷者は喉を通らない様子だった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
10 WH14-048 鷹の橋周辺と二本の柳 菅 敏孝(スガ トシタカ) 大正末期~昭和 鷹の橋周辺
11 WH14-034 鶴見町と川向こうの比治山下の町を往復する渡し舟 勝田 光子(カツタ ミツコ) 鶴見町
12 GE22-27-1 骨組みだけが残り、ところどころ火が燃えている県立広島第一中学校の校舎 原 邦彦(ハラ クニヒコ) 1945/8/6 県立広島第一中学校
13 NG333-05 食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 県立広島第一中学校校庭
14 GE29-19 顔や手足から血を流し、叫びながら右往左往している人々 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 鷹野橋交差点
15 GE23-04 顔や手足から血を流し、口々に何か叫んでいる人々 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 鷹野橋交差点
16 GE26-21 頭だけ梁の下敷になった妹を助けられなかった 打越 嘉子(ウチコシ ヨシコ) 1945/8/6 平野町
17 GE05-43-1 電車道をふさいだ大木と赤茶けた電車 宇野 耕司(ウノ コウジ) 1945/8/8 国泰寺付近
18 GE22-10 電車道に倒れている母と子 大成 徳夫(オオナリ トクオ) 1945/8/6 鷹野橋付近
19 NG223-01 電車通りを避難する人々。ショックで口を閉ざし手の先からはやけどの皮膚がたれさがっていた。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/6 千田町三丁目
20 GE30-04 電車の中で被爆し、爆風で将棋倒しになる。電車を脱出し、宇品に逃げる 大藤 誠(オオトウ マコト) 1945/8/6 千田町

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