地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | NG418 | くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 1945/8/6 | 鷹野橋電停付近 | |
22 | NG206-02 | こわれた水道から水が噴き出ていた。みな水を手ですくって飲んだ。 | 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院前 | |
23 | NG206-01 | せん光と爆風に飛ばされ気が付くと真っ暗闇だった。材木や畳にはさまれていた。 | 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
24 | NG165-04 | たくさんの負傷者の中に子供をかかえ横腹に木片が刺さって苦しんでいる男性がいた。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/6 | 広島市役所前辺り | |
25 | NG019-07 | ついえ(広島電鉄前) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 広島電鉄本社前 | ||
26 | GE36-24 | つみあげられた死体の中に友だちを見つける、道の両側に並べられた馬の死体 | 笹口 里子(ササグチ サトコ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院前 | |
27 | NG135 | まだ5歳だった自分は家の下敷きになったが助けられた。夜、対岸の吉島は火災の火が赤々と燃えていた。 | 山口 紀行(ヤマグチ ノリユキ) | 1945/8/7 | 南千田町 | |
28 | GE33-18 | むしろに並べられ水を求める被爆者 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 市立浅野図書館 | |
29 | NG276-03 | やけどで全身が水ぶくれになった若い男性。家族が両側から支えて少しづつ歩いていた。 | 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) | 1945/8/7 | 明治橋 | |
30 | GE40-49 | やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒 | 藤田 眞喜子(フジタ マキコ) | 1945/8/6 | 御幸橋へ通ずる道、南竹屋町より大学グランド東側を通り川沿い道より1筋西よりの南北に通ずる道 | |
31 | NG193-02 | やっと御幸橋の交番までたどりつく。家の方は焼け野原でどうしようもなく、母の実家に行くことにする。 | 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
32 | SG-0427 | グラマン(米軍戦闘機)飛来と太陽光発火 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 南大橋東詰、魚市場 | |
33 | NG165-02 | シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。 | 駒田 保(コマダ タモツ) | 1945/8/6 | 南大橋東詰付近 | |
34 | SG-0434 | タカノ橋方面の白煙の中から大勢の負傷者が押し寄せて来た。胸の名札で同級生と出会うことが出来た。 | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | ||
35 | GE03-11 | トタンで暑をさけ泥水を飲む女子学生 | 津沢 与吉(ツザワ ヨキチ) | 1945/8/7 | 鷹野橋林病院付近 | |
36 | GE19-11 | トタンをかぶせられた死人の列 | 山下 アサコ(ヤマシタ アサコ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
37 | GE27-01 | ピカドンの瞬間 事務所内のようす | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 広島県農業会 | |
38 | GE42-28 | プール、校庭、壁の下に並んだ焼死者 | 武田 一美(タケタ カズミ) | 1945/8/8 | 県立広島第一中学校 | |
39 | GE44-41 | プールの中の死体、死寸前の少女たち | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/8/6 | 県立広島第一中学校 | |
40 | NG271 | プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 | 有村 行夫(アリムラ ユキオ) | 1945/8/8 | 県立広島第一中学校 |