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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 SG-0496 建物疎開作業のようす 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945 富士見町
182 SG-0301 建物疎開作業中に被爆した子どもたち 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) 御幸橋付近
183 NG436-04 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
184 GE07-11 張り出された収容者氏名の中に見つけた友の名前 山田 育枝(ヤマダ イクエ) 1945/8/10 広島赤十字病院
185 NG296 強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。 南 昭三(ミナミ ショウゾウ) 1945/8/6 比治山下、広島工業専門学校
186 SG-0422 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋
187 WH13-006 御幸橋での投網 阪田 寛(サカタ ヒロシ) 明治42年夏 御幸橋
188 NG292-01-05 御幸橋に向かうほとんどの人がやけどを負っており、道の両側にはすでに息絶えた人が至る所にいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
189 NG018 御幸橋に立ち、京橋川上流を見る。川の両岸から風にあおられて炎が上がり、黒煙が空高く上っていった。 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) 1945/8/6 御幸橋
190 WH11-028 御幸橋の思い出 長尾 澄子(ナガオ スミコ) 昭和7~10年頃 御幸橋
191 WH13-027 御幸橋・糧秣支廠の前で離合する電車 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和9年頃 御幸橋・糧秣支廠前
192 GE17-27 御幸橋付近の惨状 岡田 佐美子(オカダ サミコ) 1945/8/6 御幸橋付近
193 GE17-10 御幸橋方面へ泣きながら避難する親子 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) 1945/8/6 平野町より広島電鉄裏側付近の道
194 NG169 御幸橋西詰の派出所前の血まみれの負傷者たち 南部 廣士(ナンブ ヒロシ) 1945/8/6 御幸橋西詰
195 NG403 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島赤十字病院
196 GE35-21 悪臭のただよう死体の中を肉親を探して歩く人 三好 茂(ミヨシ シゲル) 1945/8/9、8/10 万代橋付近
197 GE01-43 支局の窓から出血し飛び出して来る人、泣き叫ぶ廷身隊の少女達 小野山 博子(オノヤマ  ヒロコ) 1945/8/6 広島貯金支局
198 NG292-01-07 放心状態で空を見ている軍人。腕には赤黒くなって焼け死んでいる赤ん坊を抱いていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
199 NG292-02-05 放心状態で空を見ている軍人。腕には黒こげの赤ん坊を抱いていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
200 SG-0328 救援バスが来た。前には東南アジアの留学生が乗っていた 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 広島工業専門学校

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