地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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121 | NG267-09 | 焼け野原となった街を自転車で行く。はるかに山の稜線が幻のように見えた。 | 川田 義男(カワタ ヨシオ) | 1945/8/7 | 御幸橋付近 | |
122 | GE43-47 | 負傷した人達 | 高田 二郎(タカダ ジロウ) | 1945/8/6 | 御幸橋付近 | |
123 | GE32-13 | 広島女子専門学校、広島工業専門学校の学生に水を求められ、自分で飲めないので飲ませてあげた | 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) | 1945/8/6 | 御幸橋付近 | |
124 | GE17-27 | 御幸橋付近の惨状 | 岡田 佐美子(オカダ サミコ) | 1945/8/6 | 御幸橋付近 | |
125 | WH13-027 | 御幸橋・糧秣支廠の前で離合する電車 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和9年頃 | 御幸橋・糧秣支廠前 | |
126 | GE40-49 | やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒 | 藤田 眞喜子(フジタ マキコ) | 1945/8/6 | 御幸橋へ通ずる道、南竹屋町より大学グランド東側を通り川沿い道より1筋西よりの南北に通ずる道 | |
127 | NG314-20 | 夕方近くなってようやく救援おにぎりがトラックで運ばれてきた。1人2個ずつ配られ川岸で食べた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 御幸橋のたもと | |
128 | NG314-19 | 罹災証明書を発行していた女性の一人は手首からひじまで大やけどで水ぶくれがたれ下がっていた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 御幸橋のたもと | |
129 | NG314-18 | 橋のたもとで罹災証明書の発行が始まったのでもらいに行った。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 御幸橋のたもと | |
130 | GE14-08 | 火災の中茫然とたたずむ人 | 井上 三喜夫(イノウエ ミキオ) | 1945/8/6 | 御幸橋たもと | |
131 | WH13-006 | 御幸橋での投網 | 阪田 寛(サカタ ヒロシ) | 明治42年夏 | 御幸橋 | |
132 | WH11-028 | 御幸橋の思い出 | 長尾 澄子(ナガオ スミコ) | 昭和7~10年頃 | 御幸橋 | |
133 | SG-0422 | 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた | 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
134 | NG424 | 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 | 別所 幸恵(ベッショ サチエ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
135 | NG314-17 | 交番前ではやけどやけがをした女生徒が集まっていた。薬を待っているらしい。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
136 | NG292-02-08 | 姉の目がはれているので冷やしてあげようと布を持って川に降りた。死体が浮いている間で布をぬらした。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
137 | NG292-02-07 | 女性に水をあげるとその人は「ありがとう」と言って目を閉じた。全身焼けただれていて痛々しかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
138 | NG292-01-11 | 女性に水をあげるとその人はうなずいて微笑んだがその顔は焼けただれていて痛々しかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
139 | NG292-01-10 | 姉の目がはれているので冷やしてあげようと布を持って川に降りた。死体が浮いている間で布をぬらした。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
140 | NG292-01-09 | 橋の上は全身やけどや血だらけの人でいっぱいだった。苦痛で泣き叫ぶ声がすごかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 |