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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
341 NG460-16 市民が描いた原爆の絵NG460-16 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 千田町の避難所
342 NG460-15 市民が描いた原爆の絵NG460-15 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 千田町の避難所
343 NG292-02-16 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
344 NG292-02-02 熱風に体が浮き上り暗い中で手足をばたつかせていた。どのくらい時間が過ぎたのかわからなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町の自宅
345 NG292-02-01 空に閃光が走り雷鳴のような音がした。数秒後グワーッと熱風が吹き付けてきた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町の自宅
346 NG292-01-22 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
347 NG292-01-03 お膳の前に座った時突然庭に閃光が走った。数秒後夜のように暗くなりものすごい熱風が吹き抜けた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町の自宅
348 WH13-031 千田町の南大橋から子どもたちがサヨリを釣る 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和8年頃 千田町の南大橋
349 SG-0568 「あの日」の元安川 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945年8月6日 千田町 元安川
350 NG299-05 空をおおう猛火とボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。応急手当に食用油をぬっている。 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) 1945/8/6 千田町
351 NG292-02-22 目の前の焼け跡を見ていると灰の中から頭蓋骨がこちらを向いている。無数の白骨死体が見えた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 千田町
352 GE41-20 通信機関が途絶し口うつし通信が行なわれた 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/9 千田町
353 GE30-04 電車の中で被爆し、爆風で将棋倒しになる。電車を脱出し、宇品に逃げる 大藤 誠(オオトウ マコト) 1945/8/6 千田町
354 WH04-018 私の通った千田尋常高等小学校 竹田 初枝(タケダ ハツエ) 千田尋常高等小学校
355 NG292-02-11 朝、助けを求めていた女性は焼死体になっていた。「ごめんなさい」とわびながら手を合わせた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
356 NG292-02-06 家の下敷きになった女性を助けようとしたが、できずにその場を離れた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
357 NG292-02-05 放心状態で空を見ている軍人。腕には黒こげの赤ん坊を抱いていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
358 NG292-02-04 橋の方からヨロヨロと歩いてくる4、5人。皮膚がたれ下がり、時々体を折り曲げて声をあげていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
359 NG292-01-16 朝、助けを求められた女性の焼死体があった。「ごめんなさい」とわびながら手を合わせた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
360 NG292-01-08 家の下敷きになった女性を助けようとしたが、柱や梁を動かすのは子どもの力では無理だった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道

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