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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
301 NG280-01 突然ごう音がして真っ暗な中に閉じ込められた。頭上の小さな穴から10分くらいかけて脱出する。 大西 比呂志(オオニシ ヒロシ) 1945/8/6 南竹屋町
302 GE44-17 目がとびだし、舌が風船ガムをふくらましたようになった死体 陰山 壽美恵(カゲヤマ スミエ) 1945/8/8 南竹屋町
303 GE05-18 死んでいる女の子をしっかり抱いて乳を飲ませていた母親、水を求めて死んでいった人々 中村 マサノ(ナカムラ マサノ) 1945/8/6 南大橋東詰土手
304 SG-0330 私の被爆状況 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 南大橋東詰付近
305 NG165-02 シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 南大橋東詰付近
306 SG-0620 被爆直後の少年 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 南大橋東詰め 広島魚市場前
307 SG-0427 グラマン(米軍戦闘機)飛来と太陽光発火 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 南大橋東詰、魚市場
308 SG-0712 被災状況 尾崎 稔(オザキ ミノル) 1945/8/6 南大橋東詰
309 SG-0783 広島の川の想い出 「あの日」の川の水 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 南大橋付近
310 SG-0418 全身火傷の兄に油を塗る 三山 甲子(ミヤマ カツコ) 1945/8/6 南大橋付近
311 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
312 NG333-04 火災の勢いは壮絶で次から次へと炎が家をなめていく。川には人が流されているが助けることもできない。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 南大橋付近
313 NG331-02 製紙工場から火の手があがり、橋のたもとの土手筋にはたくさんの人が放心状態で座り込んでいた。 松長 静子(マツナガ シズコ) 1945/8/6 南大橋付近
314 GE21-20 南千田町南大橋付近で建物の下敷きになり、苦しむ人々。対岸救助のため、助けることができない。 原 美味(ハラ ヨシミ) 1945/8/6 南大橋付近
315 GE18-22 黄土色に濁った水の中に背中が乳白色の魚が何匹も泳いでいた 原 美味(ハラ ヨシミ) 南大橋付近
316 GE10-45 「生徒を助けて」と頼み自分は担架に乗らずそのまま亡くなった女性教師 原 美味(ハラ ヨシミ) 1945/8/6 南大橋付近
317 GE08-16 川土手の横たわる火傷した人々、広島女子高等師範学校附属山中高等女学校の生徒 千原 雪江(チハラ ユキエ) 1945/8/6 南大橋付近
318 GE05-07 全身火傷で逃げる学徒たち 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) 1945/8/6 南大橋付近
319 WH07-014 県立広島工業学校正門前 小野 勝(オノ マサル) 1924/5/7 南大橋下手の県立広島工業学校正門前
320 WH13-037 南大橋周辺の思い出 栄 トシ子(サカエ トシコ) 南大橋

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