地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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141 | GE27-14 | 妻の弟2人と生後4ヶ月の息子を探し、遺体を見つける | 吉尾 彰義(ヨシオ アキヨシ) | 1945/8/7 | 平野町の自宅 | |
142 | GE17-10 | 御幸橋方面へ泣きながら避難する親子 | 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) | 1945/8/6 | 平野町より広島電鉄裏側付近の道 | |
143 | SG-0016 | 閃光(広大前) | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 広島大学前 | ||
144 | GE11-41 | 倒壊した校舎の下から這い出して来る生徒達に先生が逃げるよう指示している | 佐藤 祝子(サトウ ノリコ) | 1945/8/6 | 広島女子高等師範学校 | |
145 | SG-0335 | 山中高等女学校校庭の竹やぶの中で、数百人もの避難者が、絶叫していた | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校 | |
146 | SG-0328 | 救援バスが来た。前には東南アジアの留学生が乗っていた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945/8/6 | 広島工業専門学校 | |
147 | GE11-35 | 倒壊した学校 | 永尾 勝實(ナガオ カツミ) | 1945/8/8 | 広島工業専門学校と市立第二工業学校の正門 | |
148 | GE28-38 | 校長を訪ねる、官舎内に植えられた南瓜やさつま芋の無惨なようす | 永尾 勝實(ナガオ カツミ) | 1945/8/8 | 広島工業専門学校の校長官舎 | |
149 | GE45-29 | 建物の下敷きになりようやく這い出すが、同僚を助け出すことができなかった | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島市健康指導所 | |
150 | NG093 | 死亡した幼児を抱いている女性。話しかけるが、もう目も見えず耳も聞こえないようだった。 | 上岡 千吉(ウエオカ センキチ) | 1945/8/6 | 広島市公会堂庭園の池のそば | |
151 | SG-0190 | 義兄の下宿先 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/7 | 広島市千田町 | |
152 | GE25-22 | 夜、市役所近くで水を求める負傷者たち、担架で負傷者を運ぶ兵隊 | 小林 岩吉(コバヤシ イワキチ) | 1945/8/6 | 広島市市役所付近 | |
153 | GE06-35 | 沢山の収容者の名簿をさがし、名前不明県立広島第二中学校一年生の骨を子供と思い骨をもらう | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/9/15 | 広島市役所 | |
154 | GE13-33 | 瀕死の負傷者達、炊出しのおにぎり | 煙石(土井)二三枝(エンセキ(ドイ) フミエ) | 1945/8/8 | 広島市役所 | |
155 | GE25-32 | 市役所の窓から吹き出る炎 | 柴田 フミ子(シバタ フミコ) | 1945/8/8 | 広島市役所 | |
156 | GE27-19 | 水漕の水を求める被爆者たち、火傷で皮膚がたれ下がった人 | 木村 巖(キムラ イワオ) | 1945/8/6 | 広島市役所 | |
157 | GE33-40 | 死体収容所となった市役所。どの建物にも、死者、負傷者、行先等が貼紙してあった | 室積 淑美(ムロズミ ヒデミ) | 1945/8/7 | 広島市役所 | |
158 | GE03-34 | 原爆投下より約40日後青い植物の新芽が出る。 | 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) | 1945/9/中旬 | 広島市役所と公会堂の間 | |
159 | GE13-20 | 爆風でコンクリートの屏壁が倒れ義勇隊や学徒の命をさらって行った | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/10 | 広島市役所の裏 | |
160 | NG354-03 | 足首をほとんど切断され皮膚1枚でつながった状態で後ずさりで逃げる人。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 広島市役所付近 |