地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
41 | ![]() |
NG292-02-06 | 家の下敷きになった女性を助けようとしたが、できずにその場を離れた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 千田国民学校から御幸橋に向かう道 |
42 | ![]() |
NG292-02-11 | 朝、助けを求めていた女性は焼死体になっていた。「ごめんなさい」とわびながら手を合わせた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 千田国民学校から御幸橋に向かう道 |
43 | ![]() |
WH04-018 | 私の通った千田尋常高等小学校 | 竹田 初枝(タケダ ハツエ) | 千田尋常高等小学校 | |
44 | ![]() |
GE30-04 | 電車の中で被爆し、爆風で将棋倒しになる。電車を脱出し、宇品に逃げる | 大藤 誠(オオトウ マコト) | 1945/8/6 | 千田町 |
45 | ![]() |
GE41-20 | 通信機関が途絶し口うつし通信が行なわれた | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/9 | 千田町 |
46 | ![]() |
NG292-02-22 | 目の前の焼け跡を見ていると灰の中から頭蓋骨がこちらを向いている。無数の白骨死体が見えた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 千田町 |
47 | ![]() |
NG299-05 | 空をおおう猛火とボロボロの衣服をまとった血みどろの負傷者。応急手当に食用油をぬっている。 | 吉村 吉助(ヨシムラ キチスケ) | 1945/8/6 | 千田町 |
48 | ![]() |
SG-0568 | 「あの日」の元安川 | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) | 1945年8月6日 | 千田町 元安川 |
49 | ![]() |
WH13-031 | 千田町の南大橋から子どもたちがサヨリを釣る | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和8年頃 | 千田町の南大橋 |
50 | ![]() |
NG292-01-03 | お膳の前に座った時突然庭に閃光が走った。数秒後夜のように暗くなりものすごい熱風が吹き抜けた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 千田町の自宅 |
51 | ![]() |
NG292-01-22 | 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/7 | 千田町の自宅 |
52 | ![]() |
NG292-02-01 | 空に閃光が走り雷鳴のような音がした。数秒後グワーッと熱風が吹き付けてきた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 千田町の自宅 |
53 | ![]() |
NG292-02-02 | 熱風に体が浮き上り暗い中で手足をばたつかせていた。どのくらい時間が過ぎたのかわからなかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 千田町の自宅 |
54 | ![]() |
NG292-02-16 | 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/7 | 千田町の自宅 |
55 | ![]() |
NG460-15 | 市民が描いた原爆の絵NG460-15 | 池亀 春男(イケガメ ハルオ) | 千田町の避難所 | |
56 | ![]() |
NG460-16 | 市民が描いた原爆の絵NG460-16 | 池亀 春男(イケガメ ハルオ) | 千田町の避難所 | |
57 | ![]() |
NG276-02 | 負傷者を乗せて宇品方面に向かうトラック。みな荷台に立った状態で裸のようだった。 | 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) | 1945/8/6 | 千田町の電車通り |
58 | ![]() |
NG223-01 | 電車通りを避難する人々。ショックで口を閉ざし手の先からはやけどの皮膚がたれさがっていた。 | 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) | 1945/8/6 | 千田町三丁目 |
59 | ![]() |
GE29-47 | 火と煙がうずをまくようす | 河地 マサノ(カワチ マサノ) | 1945/8/6 | 千田町二丁目 |
60 | ![]() |
WH11-046 | 千田町の一本松の所の道しるべ | 吉尾 彰義(ヨシオ アキヨシ) | 大正末期 | 千田町二丁目 |