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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
301 GE15-47 橋の上の母と子、川を流れる死体 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ)、竹田 初枝(タケダ ハツエ) 1945/8/6 明治橋西詰
302 NG413-01 倒壊した家から抜け出し火のない方へと逃げる。橋の上では腹に火のついた馬が暴れていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
303 NG413-04 兵隊さんが重傷者を集め船で似島に運んでいた。亡くなった人は焼け跡で火葬していた 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
304 GE29-41 服がボロボロになり、放心状態の級友。右手の手当てをし、比治山橋に出る。 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) 1945/8/6 昭和町
305 GE33-19 被爆後モンペからは煙が出、皮膚がたれさがり、もっていたモンペをはきかえた 長岡 ワカエ(ナガオカ ワカエ) 1945/8/6 昭和町
306 GE36-28 壊れた家の屋根伝いに避難する 落合 フミコ(オチアイ フミコ) 1945/8/6 昭和町
307 GE37-49 立ちあがろうとするが立ちかけては倒れる馬、途方にくれて馬をなでている馬主 落合 フミコ(オチアイ フミコ) 1945/8/6 昭和町
308 NG176-13 学徒動員で建物疎開作業をしていた女学生。やけどで顔は大きくはれていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 昭和町
309 NG358-09 母と上の弟は下敷きになった下の弟を「助けて」と隣人に頼んだが「人どころではない」と逃げていった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 昭和町
310 SG-0174 焼け野原となった広島 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/6 昭和町 竹屋町付近
311 NG263-01 自宅の焼け跡近くに何体かの黒焦げの死体があった。家の近所の人かもしれないと思った 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 昭和町の自宅近く
312 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
313 NG176-07 広島文理科大学付近を通った時、馬の死体を見た。口からは舌を出し肛門から内臓が出ていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 東千田町
314 WH03-076 南竹屋町の広島県立広島商業学校校庭からの風景 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 大正末期 比治山
315 NG296 強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。 南 昭三(ミナミ ショウゾウ) 1945/8/6 比治山下、広島工業専門学校
316 NG277-01 帰らない父親を捜しに行く。借り物の自転車はパンクしがれきの中で幼児と馬の死体を見る。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/7 比治山橋から富士見橋の間
317 NG460-12 市民が描いた原爆の絵NG460-12 池亀 春男(イケガメ ハルオ) 浅野図書館入口
318 SG-0467 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」パラシュートを見た 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校
319 SG-0468 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」熱線に耐える 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校
320 SG-0469 紙芝居「少年・十三歳の原爆体験」爆風で飛ばされる 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校

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