menu

トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
261 NG292-02-08 姉の目がはれているので冷やしてあげようと布を持って川に降りた。死体が浮いている間で布をぬらした。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 御幸橋
262 NG314-17 交番前ではやけどやけがをした女生徒が集まっていた。薬を待っているらしい。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 御幸橋
263 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
264 SG-0422 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋
265 WH11-028 御幸橋の思い出 長尾 澄子(ナガオ スミコ) 昭和7~10年頃 御幸橋
266 WH13-006 御幸橋での投網 阪田 寛(サカタ ヒロシ) 明治42年夏 御幸橋
267 GE14-08 火災の中茫然とたたずむ人 井上 三喜夫(イノウエ ミキオ) 1945/8/6 御幸橋たもと
268 NG314-18 橋のたもとで罹災証明書の発行が始まったのでもらいに行った。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 御幸橋のたもと
269 NG314-19 罹災証明書を発行していた女性の一人は手首からひじまで大やけどで水ぶくれがたれ下がっていた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 御幸橋のたもと
270 NG314-20 夕方近くなってようやく救援おにぎりがトラックで運ばれてきた。1人2個ずつ配られ川岸で食べた。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/6 御幸橋のたもと
271 GE40-49 やけどを負った負傷者たち、先生を助けて歩く生徒 藤田 眞喜子(フジタ マキコ) 1945/8/6 御幸橋へ通ずる道、南竹屋町より大学グランド東側を通り川沿い道より1筋西よりの南北に通ずる道
272 WH13-027 御幸橋・糧秣支廠の前で離合する電車 上西 薫(カミニシ カオル) 昭和9年頃 御幸橋・糧秣支廠前
273 GE17-27 御幸橋付近の惨状 岡田 佐美子(オカダ サミコ) 1945/8/6 御幸橋付近
274 GE32-13 広島女子専門学校、広島工業専門学校の学生に水を求められ、自分で飲めないので飲ませてあげた 吉村 エイ(ヨシムラ エイ) 1945/8/6 御幸橋付近
275 GE43-47 負傷した人達 高田 二郎(タカダ ジロウ) 1945/8/6 御幸橋付近
276 NG267-09 焼け野原となった街を自転車で行く。はるかに山の稜線が幻のように見えた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/7 御幸橋付近
277 NG304-10 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 月原 四郎(ツキハラ シロウ) 1945/8/8 御幸橋付近
278 SG-0301 建物疎開作業中に被爆した子どもたち 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) 御幸橋付近
279 SG-0302 何百人も火傷を負った人達の行列を目にした御幸橋。一列に並んで倒れていた欄干石 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) 御幸橋付近
280 GE06-09 衣類もなく、焼けただれ、雨に打たれながら、宇品方面へ逃げる人々 石本 孝雄(イシモト タカオ) 1945/8/6 御幸橋北詰交番所前

Page Top