地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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241 | NG209-03 | 大八車に乗せられた黒焦げの軍服姿の死体。 | 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) | 1945/8/8 | 広島高等師範学校附属国民学校入口 | |
242 | GE41-26 | 広島電鉄付近の電車通りの馬の死体 | 内田 豊(ウチダ ユタカ) | 1945/8/10 | 広電電鉄付近の電車通り | |
243 | GE09-38 | 比治山、御幸橋、倒壊した家屋、川を流れる死体 | 井上 静雄(イノウエ シズオ) | 1945/8/9 | 御幸橋 | |
244 | GE16-28 | 市内各地のようす(住吉橋で死んだ母と子など) | 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
245 | GE19-11 | トタンをかぶせられた死人の列 | 山下 アサコ(ヤマシタ アサコ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
246 | GE39-38 | 爆風で横倒しになった橋の欄干 | 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
247 | NG018 | 御幸橋に立ち、京橋川上流を見る。川の両岸から風にあおられて炎が上がり、黒煙が空高く上っていった。 | 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
248 | NG173-03 | 橋桁に片足がひっかかり波にゆれている全裸の死体 | 河野 きよみ(コウノ キヨミ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
249 | NG176-05 | 橋の上で一人の女性が全裸のまま、何か叫びながら走り回っていた。体はやけどし眼は異様に大きく見えた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
250 | NG193-02 | やっと御幸橋の交番までたどりつく。家の方は焼け野原でどうしようもなく、母の実家に行くことにする。 | 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
251 | NG202-06 | 橋の欄干は手前に倒れていた。川の水面は見えない。木片、家具の中に点々と人や衣類が混じっていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
252 | NG202-07 | 川面に数本の電線が垂れ下がり十数体の人々と衣類が引っかかっていた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
253 | NG205 | 橋の上に座り込む負傷者、ムシロをかぶされた死体、リヤカーで運ばれる人。 | 中藤 智行(ナカトウ トシユキ) | 御幸橋 | ||
254 | NG211 | 橋のそばの立て札と川から引き上げられたたくさんの死体が山のようになっていた。 | 新田 カツ(ニッタ カツ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
255 | NG222 | 宇品から徒歩で御幸橋を渡り市内に入る。橋の欄干は倒れたまま、焼け野原で人影はなかった。 | 富澤 正雄(トミザワ マサオ) | 1945/9/18 | 御幸橋 | |
256 | NG251-01 | 橋の向こう側で電車が燃え、青い空にドーナツ型の雲が流れていた。やけどした人が裸足で歩いていた。 | 住田 和之(スミダ カズユキ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
257 | NG292-01-09 | 橋の上は全身やけどや血だらけの人でいっぱいだった。苦痛で泣き叫ぶ声がすごかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
258 | NG292-01-10 | 姉の目がはれているので冷やしてあげようと布を持って川に降りた。死体が浮いている間で布をぬらした。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
259 | NG292-01-11 | 女性に水をあげるとその人はうなずいて微笑んだがその顔は焼けただれていて痛々しかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
260 | NG292-02-07 | 女性に水をあげるとその人は「ありがとう」と言って目を閉じた。全身焼けただれていて痛々しかった。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/6 | 御幸橋 |