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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
201 GE38-28 病院外の天幕の中の患者 院内から家に帰りたいと叫ぶ声 竹本 重市(タケモト ジュウイチ) 1945/8/8 広島赤十字病院
202 GE38-39 同じベッドの中で息を引き取った堀田夫妻 山田 育枝(ヤマダ イクエ) 1945/8/10 広島赤十字病院
203 GE39-39 光を浴び、爆風に飛ばされる 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/6 広島赤十字病院
204 GE44-65 日赤病院付近から見た焼野原の市内 橋浜 審(ハシハマ シン) 1945/8/6 広島赤十字病院
205 NG173-01 広島赤十字病院の玄関前の丸い花壇の上には木材のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体。 河野 きよみ(コウノ キヨミ) 1945/8/7 広島赤十字病院
206 NG206-01 せん光と爆風に飛ばされ気が付くと真っ暗闇だった。材木や畳にはさまれていた。 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) 1945/8/6 広島赤十字病院
207 NG206-03 ローソクに火をつけて病院の中を巡回する。窓の外には亡くなった人をだびに付した炎が見えた。 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) 1945/8/20過ぎ 広島赤十字病院
208 NG226-01 病院の内外には足の踏み場もないほどの負傷者であふれていた。不眠不休の救護活動が続けられた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 広島赤十字病院
209 NG344-03 赤ん坊がお腹が空いているのか泣いているが母親は虫の息でどうすることもできない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 広島赤十字病院
210 NG403 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島赤十字病院
211 NG450-01 病院に来たものの治療を受けられず途方に暮れる負傷者たち 匿名 1945/8/6 広島赤十字病院
212 GE05-43-3 屍体を宇品方向へ運ぶ馬車 宇野 耕司(ウノ コウジ) 1945/8/8 広島赤十字病院付近
213 NG052-01 炎に包まれた二階の窓から助けを求める幼女の声。いまだに忘れることができない。 佐々木 智佐子(ササキ チサコ) 広島赤十字病院付近
214 SG-0455 広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。 新田 臺吉(ニッタ ダイキチ) 1945/8/7 広島赤十字病院入り口付近
215 GE41-18 虫歯の治療あとを手がかりに肉親をさがす 内田 豊(ウチダ ユタカ) 1945/8/8 広島赤十字病院入口
216 GE02-14 ヤケドを負った母と子、水をくださいと通行人に訴える 田坂 元(タサカ ハジメ) 1945/8/6 広島赤十字病院前
217 GE12-12 原爆さく裂直後、狂った5,6頭の牛が突進してきた 森本 範雄(モリモト ノリオ) 1945/8/6 広島赤十字病院前
218 GE19-13 死体の焼却 清水 克徳(シミズ ヨシノリ) 1945/8/9 広島赤十字病院前
219 GE26-50 道いっぱいにガラスの破片が落ちている。裸足の私は、渡るのに苦労した。 貞徳 ミヤコ(サダトク ミヤコ) 1945/8/6 広島赤十字病院前
220 GE35-08 地面に寝かされているたくさんの負傷者 浜尾 八重(ハマオ ヤエ) 1945/8/8 広島赤十字病院前

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