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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
81 SG-0426 明治橋近くの階段で亡くなっていた子ども。どうすることもできず、ただ手を合わせることしかできなかった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 明治橋付近
82 SG-0425 鷹野橋、臨時救護所。「大竹応援隊」「廿日市応援隊」などの腕章もみられる。おむすびなどを手渡していたが、ほとんどの負傷者は喉を通らない様子だった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
83 SG-0424 鷹野橋付近。トラックに遺体を乗せていく暁部隊の兵士 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
84 SG-0423 鷹野橋付近。水を求める人々。水を求められても、自身も水を持っておらず、どうすることもできなかった 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 鷹野橋
85 SG-0422 御幸橋から市中心街を眺める。「あれが福屋、中国新聞あたりか?」 廃虚と化した街は、まだあちこちが火災に包まれていた 五島 弘行(ゴトウ ヒロユキ) 1945/8/7 御幸橋
86 SG-0337 大手町国民学校校庭。朝礼中に被爆し、焼死した生徒たちに手を合わせる 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 大手町国民学校
87 SG-0336 大手町国民学校校庭。朝礼中に被爆し、焼死した生徒たち 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 大手町国民学校
88 SG-0190 義兄の下宿先 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/7 広島市千田町
89 SG-0182 親子の姿が見えぬ 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) 1945/8/7 竹屋町付近
90 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
91 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
92 NG373-01 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/7 広島赤十字病院近くの民家の焼け跡
93 NG344-03 赤ん坊がお腹が空いているのか泣いているが母親は虫の息でどうすることもできない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 広島赤十字病院
94 NG333-07 おにぎり炊き出しがあるという知らせに市役所前に行く。すでに大勢の人々が列を作っていた。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 広島市役所前
95 NG333-05 食糧難のためイモ畑になっていた校庭には真っ黒に焼けこげた死体があちらこちらにあった。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 県立広島第一中学校校庭
96 NG331-03 「白神社あたりで爆死した女運転手」と名札が付けられていた女性の死体。 松長 静子(マツナガ シズコ) 1945/8/7 南千田町
97 NG314-23 焼け野原の中で、下敷きになって死んだ娘の骨を捜している隣の夫婦に出会う。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 冨士見町
98 NG292-02-16 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
99 NG292-02-15 父の友人の矢吹さんが捜しに来てくれた。矢吹さんの下宿先の似島に行くことになった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島文理科大学(グラウンド)
100 NG292-01-22 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅

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