地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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181 | NG436-04 | 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
182 | NG436-03 | 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
183 | NG436-02 | 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
184 | NG424 | 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 | 別所 幸恵(ベッショ サチエ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
185 | NG418 | くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 1945/8/6 | 鷹野橋電停付近 | |
186 | NG413-04 | 兵隊さんが重傷者を集め船で似島に運んでいた。亡くなった人は焼け跡で火葬していた | 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 明治橋近く | |
187 | NG413-03 | 路面電車や道路には人や牛の死体が横たわっていた。呉から来たトラックが乾パンを配っていた。 | 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 御幸橋~鷹野橋 | |
188 | NG413-02 | 川は死体でいっぱいだった。母親の背中で赤ん坊が「オギャアオギャア」と泣いていた。 | 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 明治橋と南大橋の間の元安川沿い | |
189 | NG413-01 | 倒壊した家から抜け出し火のない方へと逃げる。橋の上では腹に火のついた馬が暴れていた。 | 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) | 1945/8/6 | 明治橋近く | |
190 | NG403 | 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 | 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島赤十字病院 | |
191 | NG358-09 | 母と上の弟は下敷きになった下の弟を「助けて」と隣人に頼んだが「人どころではない」と逃げていった。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 昭和町 | |
192 | NG358-03 | 見渡すかぎりの焼け野原の中、防火用水槽には半身を水に沈めた男の人の黒こげの死体があった。 | 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) | 1945/8/6 | 富士見町 | |
193 | NG354-03 | 足首をほとんど切断され皮膚1枚でつながった状態で後ずさりで逃げる人。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 広島市役所付近 | |
194 | NG335-05 | 疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学(中国地方総監府) | |
195 | NG333-04 | 火災の勢いは壮絶で次から次へと炎が家をなめていく。川には人が流されているが助けることもできない。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
196 | NG333-03 | 道路や船着場の石段に座り込む多数の負傷者。黒く焼けただれた肌から赤身が見えている。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 大手町九丁目の魚市場荷揚場 | |
197 | NG333-02 | 炎上する窓から「その紙を拾ってくれ。マル秘文書だ」と叫ぶ人がいる。火の粉の中を拾いまわり渡した。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学付近 | |
198 | NG333-01 | 火災に追われ防火用水槽に飛び込んだ。中には5人の人がいた。このままだと焼死すると叫び避難させた。 | 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) | 1945/8/6 | 竹屋町付近 | |
199 | NG331-02 | 製紙工場から火の手があがり、橋のたもとの土手筋にはたくさんの人が放心状態で座り込んでいた。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
200 | NG314-20 | 夕方近くなってようやく救援おにぎりがトラックで運ばれてきた。1人2個ずつ配られ川岸で食べた。 | 細井 竹一(ホソイ タケイチ) | 1945/8/6 | 御幸橋のたもと |