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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
281 NG176-05 橋の上で一人の女性が全裸のまま、何か叫びながら走り回っていた。体はやけどし眼は異様に大きく見えた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 御幸橋
282 NG176-06 元安川の中には多くの死体が浮いていた。どの死体も腹部が大きくふくらんでいた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 南大橋
283 NG176-07 広島文理科大学付近を通った時、馬の死体を見た。口からは舌を出し肛門から内臓が出ていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 東千田町
284 NG176-08 「水をくれー」「水をくれー」と言う負傷者たち。手を合わす姿が今も忘れられない。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 富士見町
285 NG176-09 死体の上に焼けたトタンがかぶせられてあった。付近には収容されない死体が多く放置されていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 宝町
286 NG176-10 数多くの死体の中に頭の上部が割れていた死体があった。黒焦げであったが割れた部分が白く見えた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
287 NG176-11 死体を収容する兵隊。両手に2人、両足に2人、首に1人でささえていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
288 NG176-12 兵隊が死体を火葬しているところを見る。死体に重油をかけ、まるで木の根を焼くようだった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
289 NG176-13 学徒動員で建物疎開作業をしていた女学生。やけどで顔は大きくはれていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 昭和町
290 NG193-02 やっと御幸橋の交番までたどりつく。家の方は焼け野原でどうしようもなく、母の実家に行くことにする。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 御幸橋
291 NG211 橋のそばの立て札と川から引き上げられたたくさんの死体が山のようになっていた。 新田 カツ(ニッタ カツ) 1945/8/7 御幸橋
292 NG267-09 焼け野原となった街を自転車で行く。はるかに山の稜線が幻のように見えた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/7 御幸橋付近
293 NG276-03 やけどで全身が水ぶくれになった若い男性。家族が両側から支えて少しづつ歩いていた。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/7 明治橋
294 NG277-01 帰らない父親を捜しに行く。借り物の自転車はパンクしがれきの中で幼児と馬の死体を見る。 盛生 倫夫(モリオ ミチオ) 1945/8/7 比治山橋から富士見橋の間
295 NG292-01-20 父の友人の矢次さんが人を捜しているのか負傷者や死体をのぞきこみながら近寄ってきた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島文理科大学(グラウンド)
296 NG292-01-22 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
297 NG292-02-15 父の友人の矢吹さんが捜しに来てくれた。矢吹さんの下宿先の似島に行くことになった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島文理科大学(グラウンド)
298 NG292-02-16 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
299 NG314-23 焼け野原の中で、下敷きになって死んだ娘の骨を捜している隣の夫婦に出会う。 細井 竹一(ホソイ タケイチ) 1945/8/7 冨士見町
300 NG331-03 「白神社あたりで爆死した女運転手」と名札が付けられていた女性の死体。 松長 静子(マツナガ シズコ) 1945/8/7 南千田町

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