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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG292-02-16 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
162 NG292-02-15 父の友人の矢吹さんが捜しに来てくれた。矢吹さんの下宿先の似島に行くことになった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島文理科大学(グラウンド)
163 NG292-02-14 黒こげのカボチャを食べていた人たちは死んでしまった。死体は緑色に見えた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
164 NG292-02-13 黒こげのカボチャを食べている人たちがいたが、明け方にはみな苦しんで死んでしまった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
165 NG292-02-12 野宿するためにプールの草むらに座り込む。負傷者が泣き叫ぶ光景に一緒にいた近所の人は去っていった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(プール)
166 NG292-02-11 朝、助けを求めていた女性は焼死体になっていた。「ごめんなさい」とわびながら手を合わせた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
167 NG292-02-08 姉の目がはれているので冷やしてあげようと布を持って川に降りた。死体が浮いている間で布をぬらした。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 御幸橋
168 NG292-02-07 女性に水をあげるとその人は「ありがとう」と言って目を閉じた。全身焼けただれていて痛々しかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 御幸橋
169 NG292-02-06 家の下敷きになった女性を助けようとしたが、できずにその場を離れた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
170 NG292-02-05 放心状態で空を見ている軍人。腕には黒こげの赤ん坊を抱いていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
171 NG292-02-04 橋の方からヨロヨロと歩いてくる4、5人。皮膚がたれ下がり、時々体を折り曲げて声をあげていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校から御幸橋に向かう道
172 NG292-02-03 校門前に倒れている女性は担任の先生だった。全身にガラス片が刺さり血が吹き出ていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田国民学校
173 NG292-02-02 熱風に体が浮き上り暗い中で手足をばたつかせていた。どのくらい時間が過ぎたのかわからなかった。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町の自宅
174 NG292-02-01 空に閃光が走り雷鳴のような音がした。数秒後グワーッと熱風が吹き付けてきた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町の自宅
175 NG292-01-28 広島電鉄の車庫前に来ると台車だけになった電車のまわりに黒焦げの死体がころがっていた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/8 広島電鉄前
176 NG292-01-22 伯父は我が家の焼け跡から2つの白骨死体を見つけ、私と姉だと信じて持ち帰り供養していた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 千田町の自宅
177 NG292-01-20 父の友人の矢次さんが人を捜しているのか負傷者や死体をのぞきこみながら近寄ってきた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/7 広島文理科大学(グラウンド)
178 NG292-01-19 5、6人の男女が黒く焦げたカボチャをくだいて食べていた。食べた人は苦しみ出し朝にはみな死んでいた。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(グラウンド)
179 NG292-01-18 プール付近の草むらで休める場所を探す。負傷者と死体が横たわる間で姉と2人で夜を過ごす。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 広島文理科大学(プール)
180 NG292-01-17 自宅付近は火災で何も残っていなかった。近所の人は親戚を頼って行ってしまい姉と自分の2人が残された。 相川 国義(アイカワ クニヨシ) 1945/8/6 千田町自宅付近

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