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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
121 NG436-03 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
122 NG436-02 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
123 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
124 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
125 NG418 くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) 1945/8/6 鷹野橋電停付近
126 NG413-04 兵隊さんが重傷者を集め船で似島に運んでいた。亡くなった人は焼け跡で火葬していた 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
127 NG413-03 路面電車や道路には人や牛の死体が横たわっていた。呉から来たトラックが乾パンを配っていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 御幸橋~鷹野橋
128 NG413-02 川は死体でいっぱいだった。母親の背中で赤ん坊が「オギャアオギャア」と泣いていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋と南大橋の間の元安川沿い
129 NG413-01 倒壊した家から抜け出し火のない方へと逃げる。橋の上では腹に火のついた馬が暴れていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
130 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
131 NG403 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島赤十字病院
132 NG373-02 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/7、72日後(10/17) 広島赤十字病院近く
133 NG373-01 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/7 広島赤十字病院近くの民家の焼け跡
134 NG358-09 母と上の弟は下敷きになった下の弟を「助けて」と隣人に頼んだが「人どころではない」と逃げていった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 昭和町
135 NG358-03 見渡すかぎりの焼け野原の中、防火用水槽には半身を水に沈めた男の人の黒こげの死体があった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 富士見町
136 NG354-03 足首をほとんど切断され皮膚1枚でつながった状態で後ずさりで逃げる人。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/6 広島市役所付近
137 NG344-03 赤ん坊がお腹が空いているのか泣いているが母親は虫の息でどうすることもできない。 渡邊 昭三(ワタナベ ショウゾウ) 1945/8/7 広島赤十字病院
138 NG335-05 疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。 原田 敬二(ハラダ ケイジ) 1945/8/6 広島文理科大学(中国地方総監府)
139 NG333-07 おにぎり炊き出しがあるという知らせに市役所前に行く。すでに大勢の人々が列を作っていた。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/7 広島市役所前
140 NG333-06 叔父の家の焼け跡に行くと、立ち姿のままの白骨化した叔母の死体があった。 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8 大手町

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