地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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201 | SG-0174 | 焼け野原となった広島 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 昭和町 竹屋町付近 | |
202 | NG288-01 | 全身に大やけどを負い水を求める母子。背中の赤ん坊はすでに死んでいるようだった。 | 森 孝人(モリ タカト)、森 蓮枝(モリ ハスエ) | 1945/8/6 | 富士見町付近 | |
203 | GE15-04 | 爆発で倒れ意識不明となった私 | 梶山 繁吉(カジヤマ シゲキチ) | 1945/8/6 | 富士見町と南竹屋町の境のあたり | |
204 | WH13-037 | 南大橋周辺の思い出 | 栄 トシ子(サカエ トシコ) | 南大橋 | ||
205 | GE25-32 | 市役所の窓から吹き出る炎 | 柴田 フミ子(シバタ フミコ) | 1945/8/8 | 広島市役所 | |
206 | NG331-04 | 臨時の火葬場でだびの順番を待つ遺体。黒こげになり手足のちぎれた2体。木箱に入れられた男の子の遺体。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/7~8/8 | 南千田町 | |
207 | NG331-03 | 「白神社あたりで爆死した女運転手」と名札が付けられていた女性の死体。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/7 | 南千田町 | |
208 | NG331-02 | 製紙工場から火の手があがり、橋のたもとの土手筋にはたくさんの人が放心状態で座り込んでいた。 | 松長 静子(マツナガ シズコ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
209 | SG-0006 | 此の絵は昭和二十年八月九日のありし日、 私達が罹災証明書を、もらって市役所前に配給を受けに行った。 其の日の思い出 ①市役所前、一人一人、油をかけて焼かれている②黒い飛行機③鷹野橋の下、人間のイカダ、上向の人、下向きの下、あわれな所 | 松本 キミコ(マツモト キミコ) | 1945/8/9 | ①市役所前②黒い飛行機③鷹野橋 | |
210 | SG-0302 | 何百人も火傷を負った人達の行列を目にした御幸橋。一列に並んで倒れていた欄干石 | 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) | 御幸橋付近 | ||
211 | SG-0301 | 建物疎開作業中に被爆した子どもたち | 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) | 御幸橋付近 | ||
212 | NG018 | 御幸橋に立ち、京橋川上流を見る。川の両岸から風にあおられて炎が上がり、黒煙が空高く上っていった。 | 松島 圭次郎(マツシマ ケイジロウ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
213 | GE12-20 | 死んだ子供を焼く場所を探している母 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/7 | 竹屋町付近 | |
214 | GE07-46 | 国民学校の塀の一部に焼炭でかかれていた尋ね人の名前 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/7 | 竹屋国民学校 | |
215 | NG436-05 | 爆風が通過した後しばらくして崩壊した街の中から黒い煙の筋が幾本も立ちのぼった。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
216 | NG436-04 | 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
217 | NG436-03 | 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
218 | NG436-02 | 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
219 | GE13-20 | 爆風でコンクリートの屏壁が倒れ義勇隊や学徒の命をさらって行った | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/10 | 広島市役所の裏 | |
220 | GE05-07 | 全身火傷で逃げる学徒たち | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 |