地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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161 | GE12-02 | 壁にもたれている女性の肩から腕に「うじ虫」が発生している。 | 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) | 1945/8/13頃 | 広島赤十字病院 | |
162 | GE17-10 | 御幸橋方面へ泣きながら避難する親子 | 平岡 隆(ヒラオカ タカシ) | 1945/8/6 | 平野町より広島電鉄裏側付近の道 | |
163 | GE45-29 | 建物の下敷きになりようやく這い出すが、同僚を助け出すことができなかった | 徳富 ヨシコ(トクトミ ヨシコ) | 1945/8/6 | 広島市健康指導所 | |
164 | GE26-21 | 頭だけ梁の下敷になった妹を助けられなかった | 打越 嘉子(ウチコシ ヨシコ) | 1945/8/6 | 平野町 | |
165 | NG211 | 橋のそばの立て札と川から引き上げられたたくさんの死体が山のようになっていた。 | 新田 カツ(ニッタ カツ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
166 | SG-0455 | 広島赤十字病院入り口付近。傷ついた人たちが治療を受けるために待っていた。その中に、お腹に車掌カバンのようなものを身に着けた一人の女性が寝かされていた。自分たちが広島赤十字病院を出たときには、その女性はもういなかった。 | 新田 臺吉(ニッタ ダイキチ) | 1945/8/7 | 広島赤十字病院入り口付近 | |
167 | GE15-47 | 橋の上の母と子、川を流れる死体 | 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ)、竹田 初枝(タケダ ハツエ) | 1945/8/6 | 明治橋西詰 | |
168 | GE16-28 | 市内各地のようす(住吉橋で死んだ母と子など) | 明井 吉郎(ミョウイ キチロウ) | 1945/8/6 | 御幸橋 | |
169 | NG304-10 | 道路にはやけどで生死もわからない人が無数に横たわっていた。全身やけどで死直前の警察官が歩いていた。 | 月原 四郎(ツキハラ シロウ) | 1945/8/8 | 御幸橋付近 | |
170 | NG272 | 学校のプールの東側で見た若い女性の死体。地面に座ったまま半泣きの表情で爪が胸に立てられていた。 | 有村 ひろ子(アリムラ ヒロコ) | 1945/8/8 | 県立広島第一中学校 | |
171 | NG271 | プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 | 有村 行夫(アリムラ ユキオ) | 1945/8/8 | 県立広島第一中学校 | |
172 | WH01-054 | 広島市役所附近 | 有馬 千代(アリマ チヨ) | 広島市役所付近 | ||
173 | WH14-132 | 大手町付近の風景 | 有馬 千代(アリマ チヨ) | 昭和16年12月~昭和19年12月 | 大手町八丁目 | |
174 | GE27-19 | 水漕の水を求める被爆者たち、火傷で皮膚がたれ下がった人 | 木村 巖(キムラ イワオ) | 1945/8/6 | 広島市役所 | |
175 | GE36-20 | 広島女子高等師範学校付属山中高等女学校で肉親を火葬する人、川に流されないよう杭で止められた死体 | 木村 幸作(キムラ コウサク) | 1945/8/7 | 南大橋 | |
176 | GE35-13 | 若い女性が3~4人水道の水を飲んでいた | 杉原 悟(スギハラ サトル) | 1945/8/6 | 鷹野橋停留所付近 | |
177 | GE05-07 | 全身火傷で逃げる学徒たち | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
178 | GE13-20 | 爆風でコンクリートの屏壁が倒れ義勇隊や学徒の命をさらって行った | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/10 | 広島市役所の裏 | |
179 | NG436-02 | 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 | |
180 | NG436-03 | 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 | 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) | 1945/8/6 | 鶴見町 |