地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | NG296 | 強烈な閃光につつまれ、木造2階建ての校舎は倒壊した。夕方市内は焦土になっていた。 | 南 昭三(ミナミ ショウゾウ) | 1945/8/6 | 比治山下、広島工業専門学校 | |
62 | NG169 | 御幸橋西詰の派出所前の血まみれの負傷者たち | 南部 廣士(ナンブ ヒロシ) | 1945/8/6 | 御幸橋西詰 | |
63 | NG176-05 | 橋の上で一人の女性が全裸のまま、何か叫びながら走り回っていた。体はやけどし眼は異様に大きく見えた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 御幸橋 | |
64 | NG176-06 | 元安川の中には多くの死体が浮いていた。どの死体も腹部が大きくふくらんでいた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 南大橋 | |
65 | NG176-07 | 広島文理科大学付近を通った時、馬の死体を見た。口からは舌を出し肛門から内臓が出ていた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 東千田町 | |
66 | NG176-08 | 「水をくれー」「水をくれー」と言う負傷者たち。手を合わす姿が今も忘れられない。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 富士見町 | |
67 | NG176-09 | 死体の上に焼けたトタンがかぶせられてあった。付近には収容されない死体が多く放置されていた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 宝町 | |
68 | NG176-10 | 数多くの死体の中に頭の上部が割れていた死体があった。黒焦げであったが割れた部分が白く見えた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
69 | NG176-11 | 死体を収容する兵隊。両手に2人、両足に2人、首に1人でささえていた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
70 | NG176-12 | 兵隊が死体を火葬しているところを見る。死体に重油をかけ、まるで木の根を焼くようだった。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 雑魚場町 | |
71 | NG176-13 | 学徒動員で建物疎開作業をしていた女学生。やけどで顔は大きくはれていた。 | 原 廣司(ハラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 昭和町 | |
72 | GE06-37 | 南大橋から電鉄本社まで、三人の親子連れを励まして歩く | 原 美味(ハラ ヨシミ) | 1945/8/6 | 南大橋 | |
73 | GE10-45 | 「生徒を助けて」と頼み自分は担架に乗らずそのまま亡くなった女性教師 | 原 美味(ハラ ヨシミ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
74 | GE18-22 | 黄土色に濁った水の中に背中が乳白色の魚が何匹も泳いでいた | 原 美味(ハラ ヨシミ) | 南大橋付近 | ||
75 | GE21-20 | 南千田町南大橋付近で建物の下敷きになり、苦しむ人々。対岸救助のため、助けることができない。 | 原 美味(ハラ ヨシミ) | 1945/8/6 | 南大橋付近 | |
76 | GE22-27-1 | 骨組みだけが残り、ところどころ火が燃えている県立広島第一中学校の校舎 | 原 邦彦(ハラ クニヒコ) | 1945/8/6 | 県立広島第一中学校 | |
77 | GE22-27-3 | 全身火傷でプールの中に入る人達、ビルからは火が吹き出ている | 原 邦彦(ハラ クニヒコ) | 1945/8/6 | 県立広島第一中学校プール | |
78 | GE22-27-4 | 全身焦茶に焼け皮膚がめくれたまま逃げる被災者 | 原 邦彦(ハラ クニヒコ) | 1945/8/6 | 県立広島第一中学校 | |
79 | NG335-05 | 疎開先から父を捜しに入市する。父の勤め先の中国地方総監府は黒煙を吹き出して燃えていた。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/6 | 広島文理科大学(中国地方総監府) | |
80 | NG016 | 男女の区別もつかないほどの大火傷を負い、水を求めてうめき続ける人々。 | 原田 義久(ハラダ ヨシヒサ) | 1945/8/6 | 南大橋 |