menu

トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
161 NG126-02 B29が見え、思わず頭を下げた瞬間、異様な閃光に包まれた。全身に熱線を浴び、完全に意識を失った。 石谷 龍司(イシガイ リュウジ) 1945/8/6 富士見町の自宅
162 NG135 まだ5歳だった自分は家の下敷きになったが助けられた。夜、対岸の吉島は火災の火が赤々と燃えていた。 山口 紀行(ヤマグチ ノリユキ) 1945/8/7 南千田町
163 NG156 昭和21年頃の千田国民学校の講堂の残骸。青空の下で石やがれきに腰かけて先生の話を聞いた。 吉田 誠(ヨシダ マコト) 1946 千田国民学校
164 NG165-02 シャツはボロボロになり、顔、腕、手の甲辺りの皮膚が剥げ、たれ下がっている人々。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 南大橋東詰付近
165 NG165-04 たくさんの負傷者の中に子供をかかえ横腹に木片が刺さって苦しんでいる男性がいた。 駒田 保(コマダ タモツ) 1945/8/6 広島市役所前辺り
166 NG169 御幸橋西詰の派出所前の血まみれの負傷者たち 南部 廣士(ナンブ ヒロシ) 1945/8/6 御幸橋西詰
167 NG173-01 広島赤十字病院の玄関前の丸い花壇の上には木材のように重ねて置かれた中学1、2年生の遺体。 河野 きよみ(コウノ キヨミ) 1945/8/7 広島赤十字病院
168 NG173-03 橋桁に片足がひっかかり波にゆれている全裸の死体 河野 きよみ(コウノ キヨミ) 1945/8/7 御幸橋
169 NG176-05 橋の上で一人の女性が全裸のまま、何か叫びながら走り回っていた。体はやけどし眼は異様に大きく見えた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 御幸橋
170 NG176-06 元安川の中には多くの死体が浮いていた。どの死体も腹部が大きくふくらんでいた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 南大橋
171 NG176-07 広島文理科大学付近を通った時、馬の死体を見た。口からは舌を出し肛門から内臓が出ていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 東千田町
172 NG176-08 「水をくれー」「水をくれー」と言う負傷者たち。手を合わす姿が今も忘れられない。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 富士見町
173 NG176-09 死体の上に焼けたトタンがかぶせられてあった。付近には収容されない死体が多く放置されていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 宝町
174 NG176-10 数多くの死体の中に頭の上部が割れていた死体があった。黒焦げであったが割れた部分が白く見えた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
175 NG176-11 死体を収容する兵隊。両手に2人、両足に2人、首に1人でささえていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
176 NG176-12 兵隊が死体を火葬しているところを見る。死体に重油をかけ、まるで木の根を焼くようだった。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 雑魚場町
177 NG176-13 学徒動員で建物疎開作業をしていた女学生。やけどで顔は大きくはれていた。 原 廣司(ハラ ヒロシ) 1945/8/7 昭和町
178 NG193-02 やっと御幸橋の交番までたどりつく。家の方は焼け野原でどうしようもなく、母の実家に行くことにする。 坪中 愛子(ツボナカ アイコ) 1945/8/7 御幸橋
179 NG202-06 橋の欄干は手前に倒れていた。川の水面は見えない。木片、家具の中に点々と人や衣類が混じっていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 御幸橋
180 NG202-07 川面に数本の電線が垂れ下がり十数体の人々と衣類が引っかかっていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 御幸橋

前へ

次へ

Page Top