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トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 395 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
261 NG358-03 見渡すかぎりの焼け野原の中、防火用水槽には半身を水に沈めた男の人の黒こげの死体があった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 富士見町
262 NG358-09 母と上の弟は下敷きになった下の弟を「助けて」と隣人に頼んだが「人どころではない」と逃げていった。 玉田 吉之助(タマダ キチノスケ) 1945/8/6 昭和町
263 NG373-01 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/7 広島赤十字病院近くの民家の焼け跡
264 NG373-02 民家の瓦礫の中に子どもの人骨を見つける。かわいそうで骨より可愛い子どもの顔に見えた。 池庄司(久保) トミ子(イケショウジ(クボ) トミコ) 1945/8/7、72日後(10/17) 広島赤十字病院近く
265 NG403 応急手当の治療が開始され負傷者が集まって来た。 小川 ヨシコ(オガワ ヨシコ) 1945/8/6 広島赤十字病院
266 NG406-02 姉の弁当箱と2人の白骨を見つける。どちらが姉かわからないので両方の骨の一部を持ち帰った。 佐藤 泰子(サトウ ヤスコ) 1945/8/7 東保健所
267 NG413-01 倒壊した家から抜け出し火のない方へと逃げる。橋の上では腹に火のついた馬が暴れていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
268 NG413-02 川は死体でいっぱいだった。母親の背中で赤ん坊が「オギャアオギャア」と泣いていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋と南大橋の間の元安川沿い
269 NG413-03 路面電車や道路には人や牛の死体が横たわっていた。呉から来たトラックが乾パンを配っていた。 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 御幸橋~鷹野橋
270 NG413-04 兵隊さんが重傷者を集め船で似島に運んでいた。亡くなった人は焼け跡で火葬していた 池本 ヨシ子(イケモト ヨシコ) 1945/8/6 明治橋近く
271 NG418 くずれた屋根瓦の上で、おとうちゃん、おかあちゃんがこの下におるんじゃ!と泣き叫ぶ幼い男の子。 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) 1945/8/6 鷹野橋電停付近
272 NG424 橋の上は歩道も路面電車の軌道上も負傷者でいっぱいで、真中に人が通れるほどのはばが空けてあった。 別所 幸恵(ベッショ サチエ) 1945/8/6 御幸橋
273 NG433-03 赤ん坊を抱いた母親の真っ黒焦げの死体があった。赤ん坊の頭をそっとなでると灰になった。 田邉 俊三郎(タナベ シュンザブロウ) 1945/8/7 南大橋付近
274 NG436-02 広島女子商業学校1、2年生約500人と教職員が建物疎開の後片付けをしていた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
275 NG436-03 防空頭巾をつけたまま空のB29爆撃機を見ているところで原爆の熱線を直接に浴びた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
276 NG436-04 建物疎開作業中に被爆した学徒たち。閃光に続いて爆風に襲われた。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
277 NG436-05 爆風が通過した後しばらくして崩壊した街の中から黒い煙の筋が幾本も立ちのぼった。 松原 美代子(マツバラ ミヨコ) 1945/8/6 鶴見町
278 NG445-01 広島赤十字病院で救援活動を行う。ご主人を火災の火でだびに付す女性。赤ん坊を捜してほしいと頼む女性。 中谷 昇(ナカタニ ノボル) 1945/8/6 広島赤十字病院玄関前
279 NG445-02 呉海兵団救出隊として宇品から広島赤十字病院に向かう途中御幸橋を渡る。 中谷 昇(ナカタニ ノボル) 1945/8/6 御幸橋東詰
280 NG445-03 水を求めて浴槽や防火用水槽で折り重なって亡くなった人々。 中谷 昇(ナカタニ ノボル) 1945/8/6 広島赤十字病院西側の焼け跡

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