menu

トップページ原爆の絵地図 "国泰寺・千田地区"

原爆の絵

地図 "国泰寺・千田地区" で 396 件検索されました。

一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。

前へ

次へ

検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
181 NG202-09 校庭で子どもたちの上に先生が覆いかぶさりかばうようにして亡くなっていた。 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) 1945/8/6 千田国民学校
182 NG205 橋の上に座り込む負傷者、ムシロをかぶされた死体、リヤカーで運ばれる人。 中藤 智行(ナカトウ トシユキ) 御幸橋
183 NG206-01 せん光と爆風に飛ばされ気が付くと真っ暗闇だった。材木や畳にはさまれていた。 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) 1945/8/6 広島赤十字病院
184 NG206-02 こわれた水道から水が噴き出ていた。みな水を手ですくって飲んだ。 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) 1945/8/6 広島赤十字病院前
185 NG206-03 ローソクに火をつけて病院の中を巡回する。窓の外には亡くなった人をだびに付した炎が見えた。 渡部 芳枝(ワタナベ ヨシエ) 1945/8/20過ぎ 広島赤十字病院
186 NG209-03 大八車に乗せられた黒焦げの軍服姿の死体。 小笠原 ツル子(オガサワラ ツルコ) 1945/8/8 広島高等師範学校附属国民学校入口
187 NG211 橋のそばの立て札と川から引き上げられたたくさんの死体が山のようになっていた。 新田 カツ(ニッタ カツ) 1945/8/7 御幸橋
188 NG215-01 中年の女性が「殺してくれ」と大声で叫びながら苦しんでいた。頭と顔には血のりがべっとりついていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
189 NG215-02 助けを求める女学生たち。身につけているのは下着のゴムひもだけで焼けた皮膚がたれさがっていた。 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) 1945/8/6 県立広島工業学校入口
190 NG222 宇品から徒歩で御幸橋を渡り市内に入る。橋の欄干は倒れたまま、焼け野原で人影はなかった。 富澤 正雄(トミザワ マサオ) 1945/9/18 御幸橋
191 NG223-01 電車通りを避難する人々。ショックで口を閉ざし手の先からはやけどの皮膚がたれさがっていた。 熊木 久忠(クマキ ヒサタダ) 1945/8/6 千田町三丁目
192 NG226-01 病院の内外には足の踏み場もないほどの負傷者であふれていた。不眠不休の救護活動が続けられた。 西山 勝登(ニシヤマ カツト) 広島赤十字病院
193 NG251-01 橋の向こう側で電車が燃え、青い空にドーナツ型の雲が流れていた。やけどした人が裸足で歩いていた。 住田 和之(スミダ カズユキ) 1945/8/6 御幸橋
194 NG263-01 自宅の焼け跡近くに何体かの黒焦げの死体があった。家の近所の人かもしれないと思った 加川 宏(カガワ ヒロシ) 1945/8/6 昭和町の自宅近く
195 NG263-03 国泰寺の大クスノキ。焼け残った木が遠くから良く見えた。 加川 宏(カガワ ヒロシ) 国泰寺
196 NG267-09 焼け野原となった街を自転車で行く。はるかに山の稜線が幻のように見えた。 川田 義男(カワタ ヨシオ) 1945/8/7 御幸橋付近
197 NG271 プールや校庭で息絶えた中学生たち。道路側ではれんが塀が崩れ、多くの人々が下敷きになって死んでいた。 有村 行夫(アリムラ ユキオ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
198 NG272 学校のプールの東側で見た若い女性の死体。地面に座ったまま半泣きの表情で爪が胸に立てられていた。 有村 ひろ子(アリムラ ヒロコ) 1945/8/8 県立広島第一中学校
199 NG276-02 負傷者を乗せて宇品方面に向かうトラック。みな荷台に立った状態で裸のようだった。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/6 千田町の電車通り
200 NG276-03 やけどで全身が水ぶくれになった若い男性。家族が両側から支えて少しづつ歩いていた。 瀧川 ヤスコ(タキガワ ヤスコ) 1945/8/7 明治橋

前へ

次へ

Page Top