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トップページ原爆の絵地図 "己斐・草津地区"

原爆の絵

地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 WH06-014 己斐の餅つき唄 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 己斐
62 WH14-102 己斐の花売り 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 昭和6年の春 己斐
63 WH06-015 己斐の秋祭り 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 己斐
64 WH14-149 己斐の大石餅 塩野 一二(シオノ カズジ) 大正末期 己斐
65 WH08-046 己斐の別れの茶屋 下村 儀三(シモムラ ギソウ) 昭和5年 己斐の別れの茶屋
66 GE14-46 川土手にすわりこんで水を求める負傷者、右目に木のはじが突き立った人 池田 よしみ(イケダ ヨシミ) 己斐の川土手
67 GE01-37 川の中で死んだ牛が砂に埋もれている 田丸 義明(タマル ヨシアキ) 己斐橋
68 SG-0354 山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車 神谷 一雄(コウヤ カズオ) 1945/8/11 己斐駅
69 WH13-021 山手川の渡し舟 笹口 里子(ササグチ サトコ) 戦時中 旭橋
70 NG134-07 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
71 NG365-01 少年に「おかあちゃんの所へ連れて行って」と頼まれる。頭の傷からは血があふれ骨が見えていた。 桃井 完二(モモイ カンジ) 1945/8/7 己斐国民学校校庭
72 GE10-06 家族を捜しに広島へ向かう途中、多くの負傷者に助けを求められる 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) 己斐峠
73 SG-0544 家族と一緒に火傷の体で山道を歩いて逃げる 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 草津
74 GE33-41 家や家族を失い、駅や橋の下などに住む人々 堀 輝人(ホリ テルト) 1945/10~1945/11頃 己斐駅、旭橋
75 NG134-11 家は爆風でこわれすきまからは青空が見える。大やけどを負って寝たきりになり、バナナ籠の中で寝ていた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 己斐の自宅
76 NG134-14 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/10 己斐町
77 GE41-40 大伯父夫婦に会いおむすびをもらって食べる。 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) 1945/8/6 己斐近く
78 NG190-02 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/6 己斐国民学校付近
79 NG134-08 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
80 NG279-05 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 山本 八重(ヤマモト ヤエ) 1945/8/6 己斐

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