地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | GE37-48 | 救護所内での被爆者の叫び | 十河 敏尚(ソゴウ トシタカ) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
42 | GE12-45 | 救護所となった己斐国民学校へ歩く被災者 | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校の近く | |
43 | GE45-28 | 手当も受けられずただ収容されたまま苦しんでいる人々 | 赤木 恵(アカギ メグム) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
44 | GE25-14 | 我が子を探しに大八車を引いて入市 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/8/6 | 旭橋 | |
45 | GE24-17 | 弟をさがしに行ったが見つからず弟の友達が死んでいた | 石川 文恵(イシカワ フミエ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校舎入口 | |
46 | NG431-01 | 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 | 朝信 澄子(アサノブ スミコ) | 1945/8/10 | 己斐国民学校 | |
47 | NG024-26 | 幼児を抱いたまま息絶えた母親、髪が焼けた娘さん、息のある人に水をくださいと足にすがりつかれた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/6 | 己斐から庚午へ行く途中 | |
48 | WH08-035 | 己斐駅周辺 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 己斐駅 | ||
49 | WH14-130 | 己斐駅前の風景 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 昭和10年頃 | 己斐駅前風景 | |
50 | GE23-41 | 己斐福島町の間の旭橋の上より己斐に向い、堤の上の荷馬車を見る | 山本 政子(ヤマモト マサコ) | 1945/8/8 | 旭橋 | |
51 | WH06-027 | 己斐町秋祭り | 名柄 規四郎(ナガラ キシロウ) | 大正末期~昭和初期 | 己斐町 | |
52 | GE01-07 | 己斐町の方へ逃げる道中に見た上半身裸の被爆者たち | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐町へ逃げる途中 | |
53 | NG354-04 | 己斐方面へ電車の鉄橋を渡って避難する子供やお年寄りなどの被災者。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 己斐町電車専用橋(と思われる) | |
54 | SG-0300 | 己斐峠から見た市内の様子 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 己斐峠 | |
55 | NG365-02 | 己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校裁縫室 | |
56 | GE09-43 | 己斐国民学校の見取図 | 瀬戸 芳松(セト ヨシマツ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
57 | NG134-15 | 己斐国民学校の授業再開。うれしかった。しかし運動場の焼き場跡にはたくさんの人骨がいつまでも見られた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/9/18 | 己斐国民学校 | |
58 | GE03-22 | 己斐国民学校の廊下で死んでいた人達、傘棚にもたれ立ったまま死んでいる少年 | 石川 文恵(イシカワ フミエ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 | |
59 | GE15-22 | 己斐国民学校で机を並べその上にゴザをひいてベットにし負傷者の応急手当をする | 小川 紗賀己(オガワ サガミ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
60 | GE02-03 | 己斐国民学校での被災者の様子、美しく咲いていたひまわりの花 | 岡原 清子(オカハラ キヨコ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 |