地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | NG134-10 | 治療のため母に背負われて己斐国民学校に通う。母の背中から負傷者が横たわっているのをこわごわと見た。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐国民学校救護所 | ||
82 | GE03-19 | 治療を待つ中次々と倒れる負傷者たち | 佐藤 健美(サトウ タケミ) | 1945/8/6 | 草津国民学校救護室 | |
83 | GE09-42 | 火の海となった広島を見る | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 己斐新山 | |
84 | GE32-26 | 燃える市内 | 坂井 巖(サカイ イワオ) | 1945/8/7頃 | 己斐の山手 | |
85 | GE27-39 | 燃え落ちる橋の上で動かなかった馬 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐橋 | |
86 | GE39-05 | 爆風で破壊された旭橋を這う様にして渡り五日市へ避難する親子三人 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/8 | 旭橋 | |
87 | GE28-13 | 父を呼び、母を呼びあるいは水を求める子どもたち | 富永 芳子(トミナガ ヨシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
88 | NG131-01 | 疎開荷物を運んでいた人の大八車や背中に火がついていた。やけどした人が水を求めながら歩いていた。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 1945/8/6 | 庚午の自宅近く、国道2号線 | |
89 | SG-0536 | 竹藪の中で野宿する | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 草津 | |
90 | WH06-028 | 芸備銀行己斐支店前での亥の子祭り | 久野井 聖観(クノイ セイカン) | 芸備銀行己斐支店前 | ||
91 | GE22-42 | 被災者たち | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
92 | SG-0009-7 | 被爆体験を描いたスケッチブック(7/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 己斐の山 | |
93 | GE11-07 | 被爆者収容所。負傷者の顔はどの顔も同じようにまっ黒で区別がつかない | 有木 絢子(アリキ アヤコ) | 1945/8/11 | 己斐駅付近の収容所 | |
94 | SG-0537 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
95 | SG-0538 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
96 | GE33-11 | 講堂に寝かされた無数の負傷者に水を与える | 村井 一三(ムライ カズソウ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
97 | GE38-38 | 負傷者と死体でいっぱいの救護所で娘を見つけ、家に連れて帰る、9日に死亡 | 阿部 敏子(アベ トシコ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 | |
98 | GE28-20 | 負傷者をトラックにのせる | 佐藤 芳治(サトウ ヨシジ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
99 | GE18-28 | 軒端で死んだ全裸の教師、「助けて」とすがる学徒 | 名柄 敏子(ナガラ トシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
100 | GE43-44 | 転校手続に行く | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946/2/ | 己斐橋から福島橋 |