地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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21 | GE34-47 | 全身火傷したニ人の中学生、泥だらけの腐りかけたむしろを拾って体にかけ寒さをしのぐ | 匿名 | 1945/8/6 | 己斐の山 | |
22 | SG-0631 | 勤労奉仕で枕木を乾燥させた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | ||
23 | NG412-01 | 原爆がさく烈する瞬間を見る。マグネシウムのような光が大きくなり2秒半後工場全棟が倒壊した。 | 多田 好一(タダ ヨシカズ) | 1945/8/6 | 三菱製作所己斐分工場 | |
24 | GE01-02 | 原爆が炸裂した瞬間、青い光線に物干の布団が燃え上り、天井が落下した | 名柄 規四郎(ナガラ キシロウ) | 1945/8/6 | 己斐駅前の自宅 | |
25 | GE14-34 | 原爆が落ちた瞬間、あたり一面ピンクと水色の光線におおわれる | 田丸 義明(タマル ヨシアキ) | 1945/8/6 | 己斐中町 | |
26 | NG134-06 | 友達と二人で裏山へ逃げ三菱の疎開工場へ。山頂から見た広島市内の火災のようす。火炎地獄のようだった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 三菱重工業疎開工場 | |
27 | GE11-08 | 収容所に収容されている被爆者 | 石川 文恵(イシカワ フミエ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 | |
28 | GE12-14 | 口から泡を出し腸のはみ出した死体 | 村上 美佐子(ムラカミ ミサコ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校 | |
29 | WH08-019 | 古江の風景 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和8年頃 | 古江 | |
30 | NG045-01 | 喉の渇きに耐えきれず、水田の水を飲む被爆した女子動員学徒。数時間後には亡くなっていた。 | 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) | 1945/8/6 | 古江電停近くの水田 | |
31 | GE03-07 | 国民学校での負傷者の看護 | 平川 壽子(ヒラカワ トシコ) | 1945/8/18か、8/19頃 | 草津国民学校 | |
32 | NG279-05 | 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 | 山本 八重(ヤマモト ヤエ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
33 | NG134-08 | 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
34 | NG190-02 | 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 | 佐々木 澄江(ササキ スミエ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
35 | GE41-40 | 大伯父夫婦に会いおむすびをもらって食べる。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
36 | NG134-14 | 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/10 | 己斐町 | |
37 | NG134-11 | 家は爆風でこわれすきまからは青空が見える。大やけどを負って寝たきりになり、バナナ籠の中で寝ていた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐の自宅 | ||
38 | GE33-41 | 家や家族を失い、駅や橋の下などに住む人々 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/10~1945/11頃 | 己斐駅、旭橋 | |
39 | SG-0544 | 家族と一緒に火傷の体で山道を歩いて逃げる | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 草津 | |
40 | GE10-06 | 家族を捜しに広島へ向かう途中、多くの負傷者に助けを求められる | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 己斐峠 |