地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | WH06-027 | 己斐町秋祭り | 名柄 規四郎(ナガラ キシロウ) | 大正末期~昭和初期 | 己斐町 | |
42 | WH01-029 | わが母校の広島市己斐町旭山中学商業学校 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 昭和8年 | 己斐町 | |
43 | NG134-14 | 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/10 | 己斐町 | |
44 | NG134-13 | 8月15日重大発表があると朝からラジオを囲む。雑音の中、かすかに天皇陛下の終戦の放送を聞く。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/15 | 己斐町 | |
45 | NG134-08 | 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
46 | NG134-07 | 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
47 | GE22-42 | 被災者たち | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
48 | GE43-44 | 転校手続に行く | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946/2/ | 己斐橋から福島橋 | |
49 | GE27-39 | 燃え落ちる橋の上で動かなかった馬 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐橋 | |
50 | GE01-37 | 川の中で死んだ牛が砂に埋もれている | 田丸 義明(タマル ヨシアキ) | 己斐橋 | ||
51 | GE45-07 | ほとんど全裸で逃げる負傷者、赤ん坊を抱いたまま倒れている母親、歩けなくなって水を求める人 | 川合 ミヱ子(カワイ ミエコ) | 1945/8/6 | 己斐本町 | |
52 | GE09-42 | 火の海となった広島を見る | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 己斐新山 | |
53 | SG-0300 | 己斐峠から見た市内の様子 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 己斐峠 | |
54 | GE10-06 | 家族を捜しに広島へ向かう途中、多くの負傷者に助けを求められる | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 己斐峠 | ||
55 | NG134-05 | 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校近く | |
56 | NG365-02 | 己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校裁縫室 | |
57 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
58 | GE24-17 | 弟をさがしに行ったが見つからず弟の友達が死んでいた | 石川 文恵(イシカワ フミエ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校舎入口 | |
59 | NG365-01 | 少年に「おかあちゃんの所へ連れて行って」と頼まれる。頭の傷からは血があふれ骨が見えていた。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校庭 | |
60 | NG134-04 | やっと我に返ると校舎の方から黒い風が吹きつけてきた。隣の山の横穴へみんなで逃げる。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 |