地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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61 | GE45-07 | ほとんど全裸で逃げる負傷者、赤ん坊を抱いたまま倒れている母親、歩けなくなって水を求める人 | 川合 ミヱ子(カワイ ミエコ) | 1945/8/6 | 己斐本町 | |
62 | GE01-37 | 川の中で死んだ牛が砂に埋もれている | 田丸 義明(タマル ヨシアキ) | 己斐橋 | ||
63 | GE27-39 | 燃え落ちる橋の上で動かなかった馬 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐橋 | |
64 | GE43-44 | 転校手続に行く | 秦 進一(ハタ シンイチ) | 1946/2/ | 己斐橋から福島橋 | |
65 | GE22-42 | 被災者たち | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
66 | NG134-07 | 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
67 | NG134-08 | 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
68 | NG134-13 | 8月15日重大発表があると朝からラジオを囲む。雑音の中、かすかに天皇陛下の終戦の放送を聞く。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/15 | 己斐町 | |
69 | NG134-14 | 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/10 | 己斐町 | |
70 | WH01-029 | わが母校の広島市己斐町旭山中学商業学校 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 昭和8年 | 己斐町 | |
71 | WH06-027 | 己斐町秋祭り | 名柄 規四郎(ナガラ キシロウ) | 大正末期~昭和初期 | 己斐町 | |
72 | GE17-09 | 郊外へ向けて国道沿いを避難する負傷者たち | 中田 伍一(ナカタ ゴイチ) | 1945/8/6 | 己斐町の別れの茶屋付近 | |
73 | GE23-20 | 黒い風船のように顔がふくれあがった2人の婦人 | 井上 繁子(イノウエ シゲコ) | 1945/8/6 | 己斐町の自宅前 | |
74 | GE01-07 | 己斐町の方へ逃げる道中に見た上半身裸の被爆者たち | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐町へ逃げる途中 | |
75 | NG354-04 | 己斐方面へ電車の鉄橋を渡って避難する子供やお年寄りなどの被災者。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 己斐町電車専用橋(と思われる) | |
76 | GE10-23 | タンカで負傷者を運ぶ救援隊 | 西田 輝美(ニシダ テルミ) | 1945/8/6 | 己斐町電車専用鉄橋 | |
77 | GE41-39 | 両足の裏側を火傷した友人を助けながら歩く | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
78 | GE41-40 | 大伯父夫婦に会いおむすびをもらって食べる。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
79 | GE13-30 | トラックに乗せられる大ヤケドをした被爆者たち | 木原 敏子(キハラ トシコ) | 1945/8/7 | 己斐電停前広場にて | |
80 | GE44-66 | ヤケドしてにげる学徒 用水で死んだ人 | 橋浜 審(ハシハマ シン) | 1945/8/6 | 己斐駅 |