地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG426-04 | 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校 | |
42 | NG431-01 | 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 | 朝信 澄子(アサノブ スミコ) | 1945/8/10 | 己斐国民学校 | |
43 | GE06-20 | 水をほしがる人々に水筒の水をあげる | 下谷 軍一(シモタニ グンイチ) | 1945/8/8 | 己斐国民学校(己斐小学校) | |
44 | GE12-45 | 救護所となった己斐国民学校へ歩く被災者 | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校の近く | |
45 | GE18-28 | 軒端で死んだ全裸の教師、「助けて」とすがる学徒 | 名柄 敏子(ナガラ トシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
46 | GE45-18 | 死体をトラックに積み込む、学徒に布団をかけてやる | 名柄 敏子(ナガラ トシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
47 | NG190-02 | 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 | 佐々木 澄江(ササキ スミエ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
48 | NG134-10 | 治療のため母に背負われて己斐国民学校に通う。母の背中から負傷者が横たわっているのをこわごわと見た。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐国民学校救護所 | ||
49 | NG134-01 | 8月6日朝8時12分頃己斐国民学校校庭へ集まる。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
50 | NG134-02 | サイレンが聞こえB29が上空へ1機。白いキラキラ光るものが落ちてきた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
51 | NG134-03 | 何が起きたのかわからなかった。目の前は真っ白、青、オレンジ、赤、黄色とかわりやがて真っ暗になった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
52 | NG134-04 | やっと我に返ると校舎の方から黒い風が吹きつけてきた。隣の山の横穴へみんなで逃げる。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
53 | NG365-01 | 少年に「おかあちゃんの所へ連れて行って」と頼まれる。頭の傷からは血があふれ骨が見えていた。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校庭 | |
54 | GE24-17 | 弟をさがしに行ったが見つからず弟の友達が死んでいた | 石川 文恵(イシカワ フミエ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校舎入口 | |
55 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
56 | NG365-02 | 己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校裁縫室 | |
57 | NG134-05 | 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校近く | |
58 | GE10-06 | 家族を捜しに広島へ向かう途中、多くの負傷者に助けを求められる | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 己斐峠 | ||
59 | SG-0300 | 己斐峠から見た市内の様子 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 己斐峠 | |
60 | GE09-42 | 火の海となった広島を見る | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 1945/8/6 | 己斐新山 |