地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | NG190-02 | 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 | 佐々木 澄江(ササキ スミエ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
42 | NG134-08 | 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
43 | NG134-07 | 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
44 | NG134-06 | 友達と二人で裏山へ逃げ三菱の疎開工場へ。山頂から見た広島市内の火災のようす。火炎地獄のようだった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 三菱重工業疎開工場 | |
45 | NG134-05 | 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校近く | |
46 | NG134-04 | やっと我に返ると校舎の方から黒い風が吹きつけてきた。隣の山の横穴へみんなで逃げる。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
47 | NG134-03 | 何が起きたのかわからなかった。目の前は真っ白、青、オレンジ、赤、黄色とかわりやがて真っ暗になった。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
48 | NG134-02 | サイレンが聞こえB29が上空へ1機。白いキラキラ光るものが落ちてきた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
49 | NG134-01 | 8月6日朝8時12分頃己斐国民学校校庭へ集まる。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校校庭 | |
50 | NG131-01 | 疎開荷物を運んでいた人の大八車や背中に火がついていた。やけどした人が水を求めながら歩いていた。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 1945/8/6 | 庚午の自宅近く、国道2号線 | |
51 | NG045-01 | 喉の渇きに耐えきれず、水田の水を飲む被爆した女子動員学徒。数時間後には亡くなっていた。 | 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) | 1945/8/6 | 古江電停近くの水田 | |
52 | NG044-06 | 死んだ乳飲み子を抱いて歩く母親 | 清水 正明(シミズ マサアキ) | 1945/8/6 | 高須街道 | |
53 | NG024-26 | 幼児を抱いたまま息絶えた母親、髪が焼けた娘さん、息のある人に水をくださいと足にすがりつかれた。 | 河野 一郎(コウノ イチロウ) | 1945/8/6 | 己斐から庚午へ行く途中 | |
54 | GE45-18 | 死体をトラックに積み込む、学徒に布団をかけてやる | 名柄 敏子(ナガラ トシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校付近 | |
55 | GE45-07 | ほとんど全裸で逃げる負傷者、赤ん坊を抱いたまま倒れている母親、歩けなくなって水を求める人 | 川合 ミヱ子(カワイ ミエコ) | 1945/8/6 | 己斐本町 | |
56 | GE44-66 | ヤケドしてにげる学徒 用水で死んだ人 | 橋浜 審(ハシハマ シン) | 1945/8/6 | 己斐駅 | |
57 | GE41-40 | 大伯父夫婦に会いおむすびをもらって食べる。 | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
58 | GE41-39 | 両足の裏側を火傷した友人を助けながら歩く | 高橋 昭博(タカハシ アキヒロ) | 1945/8/6 | 己斐近く | |
59 | GE34-47 | 全身火傷したニ人の中学生、泥だらけの腐りかけたむしろを拾って体にかけ寒さをしのぐ | 匿名 | 1945/8/6 | 己斐の山 | |
60 | GE33-11 | 講堂に寝かされた無数の負傷者に水を与える | 村井 一三(ムライ カズソウ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 |