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トップページ原爆の絵地図 "己斐・草津地区"

原爆の絵

地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 NG045-01 喉の渇きに耐えきれず、水田の水を飲む被爆した女子動員学徒。数時間後には亡くなっていた。 中田 義明(ナカタ ヨシアキ) 1945/8/6 古江電停近くの水田
62 NG131-01 疎開荷物を運んでいた人の大八車や背中に火がついていた。やけどした人が水を求めながら歩いていた。 後田 末美(ウシロダ スエミ) 1945/8/6 庚午の自宅近く、国道2号線
63 NG134-01 8月6日朝8時12分頃己斐国民学校校庭へ集まる。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
64 NG134-02 サイレンが聞こえB29が上空へ1機。白いキラキラ光るものが落ちてきた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
65 NG134-03 何が起きたのかわからなかった。目の前は真っ白、青、オレンジ、赤、黄色とかわりやがて真っ暗になった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
66 NG134-04 やっと我に返ると校舎の方から黒い風が吹きつけてきた。隣の山の横穴へみんなで逃げる。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校校庭
67 NG134-05 顔、手、足が赤く熱くヒリヒリと痛むので谷川の水につけて冷やす。全裸の人々が山へ向かって避難してきた。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐国民学校近く
68 NG134-06 友達と二人で裏山へ逃げ三菱の疎開工場へ。山頂から見た広島市内の火災のようす。火炎地獄のようだった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 三菱重工業疎開工場
69 NG134-07 山を降りるとやけどの人々が列をなしていた。道沿いに座り込む人、寝る人、泣き叫ぶ人でいっぱいだった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
70 NG134-08 夜、妻を呼びながら息絶えた朝鮮の人の声が忘れられない。東の空は火災で真っ赤だった。 名柄 堯(ナガラ タカシ) 1945/8/6 己斐町
71 NG190-02 大やけどの女性をローソクの明かりの中で家族みなで看病する。 佐々木 澄江(ササキ スミエ) 1945/8/6 己斐国民学校付近
72 NG279-05 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 山本 八重(ヤマモト ヤエ) 1945/8/6 己斐
73 NG354-04 己斐方面へ電車の鉄橋を渡って避難する子供やお年寄りなどの被災者。 堀本 春野(ホリモト ハルノ) 1945/8/6 己斐町電車専用橋(と思われる)
74 NG412-01 原爆がさく烈する瞬間を見る。マグネシウムのような光が大きくなり2秒半後工場全棟が倒壊した。 多田 好一(タダ ヨシカズ) 1945/8/6 三菱製作所己斐分工場
75 NG416 バラバラと大粒の雨が降りだした。雨は真っ黒な砂まじりで上着や包帯を黒く汚した。 中村 雄子(ナカムラ ユウコ) 1945/8/6 己斐
76 NG422 校舎の中は負傷者であふれ治療待ちの行列が延々と続いた。半死半生の人々が横たわり足の踏み場もなかった。 杉﨑 友昭(スギサキ トモアキ) 1945/8/6 己斐国民学校
77 SG-0009-7 被爆体験を描いたスケッチブック(7/11) 木村 太矩次(キムラ タクジ) 1945/8/6 己斐の山
78 SG-0011 ひどいヤケドで手の皮がワカメの様にぶらさがっていた友人の姿 大木 シズヱ(オオキ シズエ) 1945/8/6 広島市己斐町
79 SG-0300 己斐峠から見た市内の様子 上野 求(ウエノ モトム) 1945/8/6 己斐峠
80 SG-0536 竹藪の中で野宿する 木村 秀男(キムラ ヒデオ) 1945/8/6 草津

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