地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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1 | GE01-37 | 川の中で死んだ牛が砂に埋もれている | 田丸 義明(タマル ヨシアキ) | 己斐橋 | ||
2 | GE05-20 | 避難所で水を求める人々 | 前迫 シズエ(マエサコ シズエ) | 草津国民学校 | ||
3 | GE10-06 | 家族を捜しに広島へ向かう途中、多くの負傷者に助けを求められる | 佐伯 敏子(サイキ トシコ ) | 己斐峠 | ||
4 | GE14-46 | 川土手にすわりこんで水を求める負傷者、右目に木のはじが突き立った人 | 池田 よしみ(イケダ ヨシミ) | 己斐の川土手 | ||
5 | GE19-03 | 2カ月燃え続けた西杉原福島の街路松 | 名柄 規四郎(ナガラ キシロウ) | 己斐 | ||
6 | NG012-02 | 母が水を飲ませていた人の白線の入った学生帽 | 二井本 純子(ニイモト ジュンコ) | 庚午の自宅の庭 | ||
7 | NG131-02 | たくさんの人が倒れていて、「お水、お水」と言われるが、水はなく畑に倒れているトマトをあげる。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 庚午の自宅近く | ||
8 | NG134-10 | 治療のため母に背負われて己斐国民学校に通う。母の背中から負傷者が横たわっているのをこわごわと見た。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐国民学校救護所 | ||
9 | NG134-11 | 家は爆風でこわれすきまからは青空が見える。大やけどを負って寝たきりになり、バナナ籠の中で寝ていた。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 己斐の自宅 | ||
10 | WH06-014 | 己斐の餅つき唄 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 己斐 | ||
11 | WH06-015 | 己斐の秋祭り | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 己斐 | ||
12 | WH06-028 | 芸備銀行己斐支店前での亥の子祭り | 久野井 聖観(クノイ セイカン) | 芸備銀行己斐支店前 | ||
13 | WH08-035 | 己斐駅周辺 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 己斐駅 | ||
14 | SG-0631 | 勤労奉仕で枕木を乾燥させた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | ||
15 | NG134-14 | 学校再開の知らせがあるが、寝たきりだったので筋肉が萎縮してしまい歩けない。懸命にリハビリを続ける。 | 名柄 堯(ナガラ タカシ) | 1945/10 | 己斐町 | |
16 | GE33-41 | 家や家族を失い、駅や橋の下などに住む人々 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/10~1945/11頃 | 己斐駅、旭橋 | |
17 | SG-0537 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
18 | SG-0538 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
19 | NG431-01 | 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 | 朝信 澄子(アサノブ スミコ) | 1945/8/10 | 己斐国民学校 | |
20 | GE11-07 | 被爆者収容所。負傷者の顔はどの顔も同じようにまっ黒で区別がつかない | 有木 絢子(アリキ アヤコ) | 1945/8/11 | 己斐駅付近の収容所 |