地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
41 | NG279-05 | 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 | 山本 八重(ヤマモト ヤエ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
42 | SG-0631 | 勤労奉仕で枕木を乾燥させた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | ||
43 | GE39-05 | 爆風で破壊された旭橋を這う様にして渡り五日市へ避難する親子三人 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/8 | 旭橋 | |
44 | GE15-22 | 己斐国民学校で机を並べその上にゴザをひいてベットにし負傷者の応急手当をする | 小川 紗賀己(オガワ サガミ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
45 | GE28-13 | 父を呼び、母を呼びあるいは水を求める子どもたち | 富永 芳子(トミナガ ヨシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
46 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
47 | NG426-04 | 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校 | |
48 | GE27-39 | 燃え落ちる橋の上で動かなかった馬 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐橋 | |
49 | GE12-23 | 便所の中まで一杯になった救護所となった己斐国民学校 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
50 | GE01-07 | 己斐町の方へ逃げる道中に見た上半身裸の被爆者たち | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐町へ逃げる途中 | |
51 | GE29-12-1 | 黒い雨が降る中、負傷者を草津小へ運ぶ | 宮原 満男(ミヤハラ ミツオ) | 1945/8/6 | 古江付近 | |
52 | GE28-07-2 | 丸木橋(庚午橋)を逃げる市民 | 宮原 満男(ミヤハラ ミツオ) | 1945/8/6 | 庚午丸木橋 | |
53 | SG-0011 | ひどいヤケドで手の皮がワカメの様にぶらさがっていた友人の姿 | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 広島市己斐町 | |
54 | GE22-42 | 被災者たち | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 己斐町 | |
55 | WH08-035 | 己斐駅周辺 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 己斐駅 | ||
56 | GE23-11 | 橋を渡って己斐国民学校に逃げる人々 | 大倉 キミヨ(オオクラ キミヨ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
57 | NG412-01 | 原爆がさく烈する瞬間を見る。マグネシウムのような光が大きくなり2秒半後工場全棟が倒壊した。 | 多田 好一(タダ ヨシカズ) | 1945/8/6 | 三菱製作所己斐分工場 | |
58 | WH14-149 | 己斐の大石餅 | 塩野 一二(シオノ カズジ) | 大正末期 | 己斐 | |
59 | NG354-04 | 己斐方面へ電車の鉄橋を渡って避難する子供やお年寄りなどの被災者。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 己斐町電車専用橋(と思われる) | |
60 | GE33-41 | 家や家族を失い、駅や橋の下などに住む人々 | 堀 輝人(ホリ テルト) | 1945/10~1945/11頃 | 己斐駅、旭橋 |