地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
61 | GE29-12-1 | 黒い雨が降る中、負傷者を草津小へ運ぶ | 宮原 満男(ミヤハラ ミツオ) | 1945/8/6 | 古江付近 | |
62 | GE01-07 | 己斐町の方へ逃げる道中に見た上半身裸の被爆者たち | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐町へ逃げる途中 | |
63 | GE12-23 | 便所の中まで一杯になった救護所となった己斐国民学校 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/8 | 己斐国民学校 | |
64 | GE27-39 | 燃え落ちる橋の上で動かなかった馬 | 宮地 臣子(ミヤジ トミコ) | 1945/8/6 | 己斐橋 | |
65 | NG426-04 | 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校 | |
66 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
67 | GE28-13 | 父を呼び、母を呼びあるいは水を求める子どもたち | 富永 芳子(トミナガ ヨシコ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
68 | GE15-22 | 己斐国民学校で机を並べその上にゴザをひいてベットにし負傷者の応急手当をする | 小川 紗賀己(オガワ サガミ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
69 | GE39-05 | 爆風で破壊された旭橋を這う様にして渡り五日市へ避難する親子三人 | 小笠原 春子(オガサワラ ハルコ) | 1945/8/8 | 旭橋 | |
70 | SG-0631 | 勤労奉仕で枕木を乾燥させた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | ||
71 | NG279-05 | 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 | 山本 八重(ヤマモト ヤエ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
72 | GE23-41 | 己斐福島町の間の旭橋の上より己斐に向い、堤の上の荷馬車を見る | 山本 政子(ヤマモト マサコ) | 1945/8/8 | 旭橋 | |
73 | GE02-03 | 己斐国民学校での被災者の様子、美しく咲いていたひまわりの花 | 岡原 清子(オカハラ キヨコ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校 | |
74 | GE45-07 | ほとんど全裸で逃げる負傷者、赤ん坊を抱いたまま倒れている母親、歩けなくなって水を求める人 | 川合 ミヱ子(カワイ ミエコ) | 1945/8/6 | 己斐本町 | |
75 | GE03-07 | 国民学校での負傷者の看護 | 平川 壽子(ヒラカワ トシコ) | 1945/8/18か、8/19頃 | 草津国民学校 | |
76 | NG131-01 | 疎開荷物を運んでいた人の大八車や背中に火がついていた。やけどした人が水を求めながら歩いていた。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 1945/8/6 | 庚午の自宅近く、国道2号線 | |
77 | NG131-02 | たくさんの人が倒れていて、「お水、お水」と言われるが、水はなく畑に倒れているトマトをあげる。 | 後田 末美(ウシロダ スエミ) | 庚午の自宅近く | ||
78 | GE11-07 | 被爆者収容所。負傷者の顔はどの顔も同じようにまっ黒で区別がつかない | 有木 絢子(アリキ アヤコ) | 1945/8/11 | 己斐駅付近の収容所 | |
79 | NG431-01 | 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 | 朝信 澄子(アサノブ スミコ) | 1945/8/10 | 己斐国民学校 | |
80 | GE13-30 | トラックに乗せられる大ヤケドをした被爆者たち | 木原 敏子(キハラ トシコ) | 1945/8/7 | 己斐電停前広場にて |