地図 "己斐・草津地区" で 111 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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81 | NG279-05 | 多くの負傷者がムシロを敷いた広場に寝かされていた。私もそこで休んだが生きた心地がしなかった。 | 山本 八重(ヤマモト ヤエ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
82 | NG354-04 | 己斐方面へ電車の鉄橋を渡って避難する子供やお年寄りなどの被災者。 | 堀本 春野(ホリモト ハルノ) | 1945/8/6 | 己斐町電車専用橋(と思われる) | |
83 | NG365-01 | 少年に「おかあちゃんの所へ連れて行って」と頼まれる。頭の傷からは血があふれ骨が見えていた。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校校庭 | |
84 | NG365-02 | 己斐国民学校は負傷者でいっぱいであった。人々の姿、うめき声は今も忘れることができない。 | 桃井 完二(モモイ カンジ) | 1945/8/7 | 己斐国民学校裁縫室 | |
85 | NG412-01 | 原爆がさく烈する瞬間を見る。マグネシウムのような光が大きくなり2秒半後工場全棟が倒壊した。 | 多田 好一(タダ ヨシカズ) | 1945/8/6 | 三菱製作所己斐分工場 | |
86 | NG416 | バラバラと大粒の雨が降りだした。雨は真っ黒な砂まじりで上着や包帯を黒く汚した。 | 中村 雄子(ナカムラ ユウコ) | 1945/8/6 | 己斐 | |
87 | NG422 | 校舎の中は負傷者であふれ治療待ちの行列が延々と続いた。半死半生の人々が横たわり足の踏み場もなかった。 | 杉﨑 友昭(スギサキ トモアキ) | 1945/8/6 | 己斐国民学校 | |
88 | NG426-04 | 木にすがってすわり親にウジをとってもらっていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校 | |
89 | NG426-05 | 「先生、足を切ってください」と頼む姉妹がいた。ムシロをはぐって見ると2人とも焼けただれていた。 | 宮本 鎤(ミヤモト アキラ) | 1945/8/9 | 己斐国民学校校舎内 | |
90 | NG431-01 | 廊下に山のように積まれた死体。校庭の木の近くに横たわっている人に近づくとピクッと動いた。 | 朝信 澄子(アサノブ スミコ) | 1945/8/10 | 己斐国民学校 | |
91 | SG-0009-7 | 被爆体験を描いたスケッチブック(7/11) | 木村 太矩次(キムラ タクジ) | 1945/8/6 | 己斐の山 | |
92 | SG-0011 | ひどいヤケドで手の皮がワカメの様にぶらさがっていた友人の姿 | 大木 シズヱ(オオキ シズエ) | 1945/8/6 | 広島市己斐町 | |
93 | SG-0300 | 己斐峠から見た市内の様子 | 上野 求(ウエノ モトム) | 1945/8/6 | 己斐峠 | |
94 | SG-0354 | 山陽本線己斐駅 下関方面行 負傷者避難列車 | 神谷 一雄(コウヤ カズオ) | 1945/8/11 | 己斐駅 | |
95 | SG-0536 | 竹藪の中で野宿する | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 草津 | |
96 | SG-0537 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
97 | SG-0538 | 被爆者収容所となった草津国民学校 | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8 | 草津国民学校 | |
98 | SG-0544 | 家族と一緒に火傷の体で山道を歩いて逃げる | 木村 秀男(キムラ ヒデオ) | 1945/8/6 | 草津 | |
99 | SG-0631 | 勤労奉仕で枕木を乾燥させた | 尾崎 稔(オザキ ミノル) | 1945 | ||
100 | WH01-029 | わが母校の広島市己斐町旭山中学商業学校 | 下村 儀三(シモムラ ギソウ) | 昭和8年 | 己斐町 |