地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
61 | WH01-026 | 広島中央放送局 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和8年 | 広島中央放送局 | |
62 | WH14-100 | 広島女学院高等女学校の正門脇 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 昭和11年頃 | 広島女学院高等女学校の正門脇 | |
63 | GE27-24 | 広島陸軍偕行社附属済美学校1年生の息子の遺体を見つける | 原 守夫(ハラ モリオ) | 1945/8/8 | 縮景園付近、石材店作業所広場 | |
64 | GE03-35 | 建物のこわれたようす | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/9/中旬 | 幟町地区から流川教会 | |
65 | GE45-39 | 建物疎開のあとの木材を薪にするために持ち帰る | 宮沢 生駒(ミヤザワ イコマ) | 1945/8/6 | 下柳町 | |
66 | NG106-02 | 建物疎開作業で柳橋で被爆したいとこ。顔や手の皮膚が垂れ下がりボロが下がっているようだった。 | 草川 ヨシエ(クサカワ ヨシエ) | 柳橋 | ||
67 | WH03-015 | 弥生町周辺 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 弥生町周辺 | ||
68 | NG451 | 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 | 和久野 幸子(ワクノ サチコ) | 1945/8/6 | 広島中央放送局前 | |
69 | NG429 | 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 | 北村 弘(キタムラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
70 | GE16-17 | 救護所での被災者達、ほとんどの人が手当もなく皆虫の息であった。 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 広島東警察署 | |
71 | GE25-24 | 救護所となった縮景園に運ばれた負傷者や死体 | 福井 巌(フクイ イワオ) | 1945/8/6 | 縮景園 | |
72 | WH11-011 | 日本メソジスト教会(のちの広島流川教会) | 小野山 博子(オノヤマ ヒロコ) | 昭和5年頃 | 日本メソジスト教会(のちの広島流川教会) | |
73 | NG202-08 | 木片、木の葉、枝そして人が点々と浮いていて池の水は見えなかった。木陰にも人がいた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/8~8/10 | 縮景園 | |
74 | GE39-12 | 木陰の芝生に並べられた負傷者の中から知人を見つける | 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) | 1945/8/6 | 縮景園 | |
75 | WH11-079 | 東洋座周辺 | 山田 友一(ヤマダ トモイチ) | 東洋座 | ||
76 | WH04-017 | 東警察署 | 西村 八千代(ニシムラ ヤチヨ) | 広島東警察署 | ||
77 | WH13-018 | 柳橋が架かる前の渡し舟の風景 | 増田 節雄(マスダ セツオ) | 明治35年頃 | 柳橋 | |
78 | WH13-062 | 柳橋の漁の風景 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 柳橋 | ||
79 | WH14-060 | 柳橋東詰の思い出 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 大正8、9年頃 | 柳橋東詰 | |
80 | WH10-014 | 栄橋 | 福田 静枝(フクダ シズエ) | 栄橋 |