地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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SG-0282 | 京橋西詰付近から八丁堀方面を望む。中央は福屋百貨店。左は中国新聞社。 | 高増 径草(タカマス ケイソウ) | 1945/9/9~9/10 | 京橋西詰付近から八丁堀 |
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NG428-02 | 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 | 杉本 知佐子(スギモト チサコ) | 1945/8/6 | 幟町の自宅 |
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NG039-01 | 倒れた家の屋根の下敷きになった子どもを助けてほしいと女性に頼まれるがどうすることもできなかった。 | 百々 和子(ドド カズコ) | 1945/8/6 | 栄橋 |
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GE25-09 | 倒壊した家屋の下敷きになり、助けを求める人々 | 渡辺 聰(ワタナベ サトシ) | 1945/8/6 | 幟町付近 |
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NG069-03 | 入隊のため矢賀駅から市内に向かう。電車線路の枕木の上を歩いて川を渡り八丁堀方面に入った。 | 田島 武雄(タジマ タケオ) | 1945/8/10 | 稲荷町電車専用橋 |
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NG071-08 | 全焼した電車が中国新聞社前に止まっていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 中国新聞社前 |
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SG-0694 | 兵隊おばさん2 常盤館 | 西岡 誠吾(ニシオカ セイゴ) | 1942年5月末頃 | 常盤館 |
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WH07-018 | 原爆でくねった稲荷町電車専用橋 | 高田 滿(タカタ ミツル) | 稲荷町電車専用橋 | |
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NG399-03 | 原爆投下2年前、自宅近くの柳橋のふもとの川で見た赤いカニ。 | 河野 しのぶ(カワノ シノブ) | 1943 | 柳橋のたもと |
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GE14-39 | 原爆投下直後の電車の中、重傷者を踏んで逃げだす | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/8/6 | 白島線縮景園前 |
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GE14-40 | 原爆投下直後白島線電車から必死の脱出 | 山本 節子(ヤマモト セツコ) | 1945/8/6 | 白島線縮景園前 |
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GE22-05 | 周囲の家が倒れ火の手が上がる中、我子を抱いて逃げる | 篠原 文子(シノハラ フミコ) | 1945/8/6 | 上幟町 |
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GE01-30 | 壊れた栄橋の欄干にもたれ座っている3人の悲惨な姿 | 瀬島 唯男(セジマ タダオ) | 1945/8/7 | 栄橋 |
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NG440-01 | 大八車を引いて路上の死体を収容した。路面電車のつり革に手を伸ばしたままの姿の死体もあった。 | 志田 敏衛(シダ トシエ) | 1945/8/6~8/20頃 | 縮景園付近 |
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GE29-18 | 大粒の雨の中、二才の子が乳房を口にしながら息を引き取る | 篠原 文子(シノハラ フミコ) | 1945/8/6 | 縮景園裏 |
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NG157-01 | 妹を捜す時に見た橋のたもとにうずくまる真っ黒に膨れ上がった人。幼い子どものように見えた。 | 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) | 1945/8/7 | 京橋 |
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NG391-03 | 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 | 前田 修治(マエダ シュウジ) | 1945/8/6 | 鉄砲町の自宅前 |
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NG443 | 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 | 植田 貢(ウエダ ミツグ) | 1945/8/7 | 上流川町の広島中央放送局前の道路 |
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GE18-14 | 子を胸に抱いたまま死んでいる母親 | 瀬島 唯男(セジマ タダオ) | 1945/8/7 | 縮景園 |
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GE04-15 | 子供を火葬するために焼け残りの電柱に石を投げ木片を作る母親 | 松室 一雄(マツムロ カズオ) | 1945/8/7 | 田中町己斐病院付近 |