地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。
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検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
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41 | WH06-001 | 幟町の思い出 | 兜山 年子(カブトヤマ トシコ) | 幟町付近 | ||
42 | GE03-36 | 燃える市街地 | 茶木原 実人(チャキハラ ジツト) | 幟町国民学校 | ||
43 | WH14-016 | 幟町国民学校の運動場にあった奉安殿 | 森重 信夫(モリシゲ ノブオ) | 昭和16年~20年 | 幟町国民学校 | |
44 | GE03-35 | 建物のこわれたようす | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 1945/9/中旬 | 幟町地区から流川教会 | |
45 | NG019-10 | 幟町天主公教会付近 | 小尻 勉(コジリ ツトム) | 幟町天主公教会付近 | ||
46 | NG068 | 亡くなった我が子を抱きしめている放心状態の母親。やけどのため顔がはれ目がほとんど見えない男の子。 | 柴田 フミ子(シバタ フミコ) | 1945/8/6 | 平塚町 | |
47 | NG158-03 | 酒屋の店にあったビール、ラムネの瓶。原爆の火災等で瓶の頭部が溶けたものと思われる。 | 山岡 崇義(ヤマオカ タカヨシ) | 1945/8 | 平塚町あたり | |
48 | WH01-026 | 広島中央放送局 | 上西 薫(カミニシ カオル) | 昭和8年 | 広島中央放送局 | |
49 | GE13-26 | 男女の区別もつかない黒焦げの親子の死体 | 谷本 初登(タニモト ハツト) | 1945/8/7 | 広島中央放送局付近 | |
50 | NG110-01-01 | 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 | 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) | 1945/8/7 | 広島中央放送局付近 | |
51 | GE01-16 | 子供を身体の下にかばい蒸焼きになった母親 | 佐々 和英(ササ カズヒデ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
52 | GE12-40 | 黒焦げになった母子 | 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) | 1945/8/6 | 広島中央放送局前 | |
53 | GE15-48 | 赤ちゃんを胸の下にかばい死んだ母親の真黒な死体 | 田口 光子(タグチ ミツコ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
54 | NG229 | 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。 | 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
55 | NG429 | 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 | 北村 弘(キタムラ ヒロシ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前 | |
56 | NG451 | 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 | 和久野 幸子(ワクノ サチコ) | 1945/8/6 | 広島中央放送局前 | |
57 | GE15-05 | 水槽の中に折り重った死体 赤ちゃんを抱いた婦人の黒こげの死体 | 山縣 康子(ヤマガタ ヤスコ) | 1945/8/7 | 広島中央放送局前の路上 | |
58 | NG204-02 | 小柄な母親に手を引かれた4歳くらいの男の子と2歳くらいの女の子。 | 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) | 1945/8/7 | 広島女学院高等女学校 | |
59 | WH14-100 | 広島女学院高等女学校の正門脇 | 岡崎 秀彦(オカザキ ヒデヒコ) | 昭和11年頃 | 広島女学院高等女学校の正門脇 | |
60 | NG110-01-02 | 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 | 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) | 1945/8/7 | 広島放送局付近 |