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原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。

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No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
41 NG283-04 欄干にもたれて立ちつくす上半身裸の人。時間を聞こうと近寄ってみるとその姿勢で亡くなっていた。 鈴木 恒昭(スズキ ツネアキ) 1945/8/7か、8/8 栄橋
42 NG443 子どもを守るような姿勢のまま黒焦げになった母子 植田 貢(ウエダ ミツグ) 1945/8/7 上流川町の広島中央放送局前の道路
43 NG429 放送局玄関の斜め左道路の中央南に向かって黒いものがあった。幼児を左腕に抱えた母親の死体だった。 北村 弘(キタムラ ヒロシ) 1945/8/7 広島中央放送局前
44 NG229 焼け跡で家の下敷きになり焼け死んだ母と姉の遺骨を拾う。放送局の前には黒焦げの母子の死体があった。 波多野 ヤエ子(ハタノ ヤエコ) 1945/8/7 広島中央放送局前
45 NG204-03 防火用水槽の女性の死体。白髪まじりの長い髪は水にゆらぎ水面から出ている背中は赤銅色に焼けていた。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 白島線の一筋東側の道路
46 NG204-02 小柄な母親に手を引かれた4歳くらいの男の子と2歳くらいの女の子。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 広島女学院高等女学校
47 NG204-01 橋で兵士が隊列を組んだまま重なり合って死んでいた。欄干と自転車にはさまれた少年の死体もあった。 香川 嘉久(カガワ ヨシヒサ) 1945/8/7 栄橋
48 NG197-06 水を求め、防火用水槽の中で折り重なるように亡くなった多くの人々。ほとんどが女性と子どもだった。 田中 陽造(タナカ ヨウゾウ) 1945/8/7 鉄砲町
49 NG157-01 妹を捜す時に見た橋のたもとにうずくまる真っ黒に膨れ上がった人。幼い子どものように見えた。 山中 昭子(ヤマナカ アキコ) 1945/8/7 京橋
50 NG110-01-02 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島放送局付近
51 NG110-01-01 自宅近くの路上で見た焼死した母子。母親と妹ではないかと感じたが、確認せずにその場を離れた。 安原 義治(ヤスハラ ヨシハル) 1945/8/7 広島中央放送局付近
52 GE41-33 縮景園前の広場では死体が山積みにされていた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 縮景園前の広場
53 GE41-32 死体は大八車に積み重ねられ兵舎の広場にある仮火葬場へ運ばれた。 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 鉄砲町付近
54 GE41-29 こわれて水の出ない手押しポンプの周囲に集まって死んでいる人たち 秋山 和男(アキヤマ カズオ) 1945/8/7 鉄砲町付近
55 GE40-31 水を求めて川岸で息絶えた人々 武田 明人(タケダ アキト) 1945/8/7 京橋
56 GE40-07 乳飲み児におおいかぶさったまま焼死した母親 中野 王吉(ナカノ オウキチ) 1945/8/7 鉄砲町路上
57 GE31-27 川の中の死者、曲がったレール 石川 新蔵(イシカワ シンゾウ) 1945/8/7 稲荷町電車専用橋
58 GE31-17 川に折重なる死体 江種 茂(エグサ シゲル) 1945/8/7 縮景園の北端付近の川
59 GE24-41 繃帯姿の二人の県庁職員 永尾 勝實(ナガオ カツミ) 1945/8/7 広島東警察署
60 GE18-14 子を胸に抱いたまま死んでいる母親 瀬島 唯男(セジマ タダオ) 1945/8/7 縮景園

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