地図 "銀山・幟地区" で 158 件検索されました。
一覧表の項目欄をクリックすると、並び替えが可能です。背景が異なっている項目が現在並び替えの基準となっています。
検索結果の表示件数
No | 画像 | コード | 絵の内容 | 作者名 | 情景年月日 | 情景場所 |
---|---|---|---|---|---|---|
21 | ![]() |
SG-0402 | 崩れる人の形をした灰 | 泉原 寅男(イズハラ トラオ) | 1945/8/9 | 栄橋 |
22 | ![]() |
GE45-35 | 防火用水一杯に広がった黒い髪 | 近藤 幸子(コンドウ サチコ) | 1945/8/9 | 流川電車通り北側 |
23 | ![]() |
GE45-19 | 黒こげの死体 | 好井 博(ヨシイ ヒロシ) | 1945/8/9 | 京橋通り |
24 | ![]() |
GE16-17 | 救護所での被災者達、ほとんどの人が手当もなく皆虫の息であった。 | 古川 正一(フルカワ ショウイチ) | 1945/8/9 | 広島東警察署 |
25 | ![]() |
GE11-01 | 満潮の川に浮いている死体をトビ口で舟に引き揚げるのを橋の上から見る | 近藤 幸子(コンドウ サチコ) | 1945/8/9 | 京橋 |
26 | ![]() |
NG202-08 | 木片、木の葉、枝そして人が点々と浮いていて池の水は見えなかった。木陰にも人がいた。 | 中島 睦男(ナカジマ ムツオ) | 1945/8/8~8/10 | 縮景園 |
27 | ![]() |
NG292-02-23 | 空が黒くなるほど黒煙が上がっている。道路上では負傷者が泣き叫んでいた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 中国新聞社前 |
28 | ![]() |
NG292-01-30 | 広島で一番の繁華街も無残に変わり果てていた。30人くらいの負傷者が泣き叫んでさまよっていた。 | 相川 国義(アイカワ クニヨシ) | 1945/8/8 | 中国新聞社前 |
29 | ![]() |
NG096-03 | 焼け跡で姉の夫と再会する。外見は無傷だったが、髪は真っ白になり頬はげっそりと痩せていた。 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 上流川町 |
30 | ![]() |
NG071-08 | 全焼した電車が中国新聞社前に止まっていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 中国新聞社前 |
31 | ![]() |
NG071-07 | 爆風で倒れた松。竹ぼうきのようになっていた。 | 長見 英希(ナガミ ヒデキ) | 1945/8/8 | 縮景園 |
32 | ![]() |
GE42-20 | 水槽の上にかがみ込んで死んでいる男女ニ人 | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 上流川町(広島中央放送局近くの角) |
33 | ![]() |
GE37-04 | 黒焦げの死体を見て手を合わせる。京橋川にはたくさんの人や馬の死体が流れている | 奥野 浅子(オクノ アサコ) | 1945/8/8 | 京橋 |
34 | ![]() |
GE35-18 | 4歳位の男の子の四つん這いのまま炭になったような焼死体 | 池田 キミヱ(イケダ キミエ) | 1945/8/8 | 下流川町辺り |
35 | ![]() |
GE33-23 | 橋の袂に並んだ死体、上半身だけ黒く焼け残った母子の姿、死体を山と積み重ね焼く光景 | 勝田 光子(カツタ ミツコ) | 1945/8/8 | 栄橋付近 |
36 | ![]() |
GE32-06 | 配給のために夜仮県庁に到着する。翌朝多くの人が死亡していた | 森川 信一(モリカワ シンイチ) | 1945/8/8 | 山口町 |
37 | ![]() |
GE27-24 | 広島陸軍偕行社附属済美学校1年生の息子の遺体を見つける | 原 守夫(ハラ モリオ) | 1945/8/8 | 縮景園付近、石材店作業所広場 |
38 | ![]() |
GE10-41-4 | くすぶり続ける建物 | 宇野 耕司(ウノ コウジ) | 1945/8/8 | 中国新聞社付近 |
39 | ![]() |
GE04-10 | 負傷して戸板に寝かされた人たち | 金行 清香(カネユキ キヨカ) | 1945/8/8 | 日本勧業銀行広島支店 |
40 | ![]() |
NG335-03 | がれきの中に2~3倍にふくれあがった若い兵士の遺体が整然と並べられているのを見た。 | 原田 敬二(ハラダ ケイジ) | 1945/8/7か、8/8 | 広島東警察署 |