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原爆の絵

地図 "銀山・幟地区" で 156 件検索されました。

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検索結果の表示件数

No 画像 コード 絵の内容 作者名 情景年月日 情景場所
61 GE39-12 木陰の芝生に並べられた負傷者の中から知人を見つける 井野上 忠夫(イノウエ タダオ) 1945/8/6 縮景園
62 GE40-30 寺の下敷きになった子どもたち 竹友 忠雄(タケトモ タダオ) 1945/8/6 禅昌寺
63 GE43-09 川の中に逃げたたくさんの人々、両岸の燃える家並 久賀 タミヨ(クガ タミヨ) 1945/8/6 京橋付近
64 GE44-08 布団をかぶって避難する負傷した女性 三浦 篤夫(ミウラ アツオ) 1945/8/6 栄橋東詰
65 GE45-39 建物疎開のあとの木材を薪にするために持ち帰る 宮沢 生駒(ミヤザワ イコマ) 1945/8/6 下柳町
66 NG039-01 倒れた家の屋根の下敷きになった子どもを助けてほしいと女性に頼まれるがどうすることもできなかった。 百々 和子(ドド カズコ) 1945/8/6 栄橋
67 NG068 亡くなった我が子を抱きしめている放心状態の母親。やけどのため顔がはれ目がほとんど見えない男の子。 柴田 フミ子(シバタ フミコ) 1945/8/6 平塚町
68 NG114-02 やけどで顔がはれあがった負傷者たち。糸のような目と口、穴だけの鼻と耳、老若男女の区別もつかなかった。 小久保 三好(コクボ ミヨシ) 1945/8/6 栄橋
69 NG181-03 橋の橋脚に流れついた死体 妙見 法彦(ミョウケン ノリヒコ) 1945/8/6 京橋川、稲荷町電車専用橋
70 NG219-02 川の中は犠牲者でいっぱいだった。水の流れがなく同じ遺体が幾日も浮いていた。 中平 武司(ナカヒラ タケシ) 1945/8/6 稲荷町電車専用橋付近
71 NG281 瓦礫の下敷きになった人。ところどころで火柱があがっている。抜け出た人はほとんど頭から血だらけだった。 山田 昭雄(ヤマダ アキオ) 1945/8/6 幟町の自宅
72 NG391-02 家の下敷きになった両親を救出する。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅
73 NG391-03 姉を捜しに行こうとしたが避難する人々で道はあふれ遠くではすでに火災が発生してできなかった。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町の自宅前
74 NG391-04 避難する人はみな白島方面に向かっていた。 前田 修治(マエダ シュウジ) 1945/8/6 鉄砲町
75 NG398 鍋に川の水を運んでわかしていた。「水をください。」という人に鍋の湯をさましては飲ませてあげた。 根本 小夜子(ネモト サヨコ) 1945/8/6 縮景園近く
76 NG428-01 泣きながら八丁堀方面に向かう男の子。一緒に逃げようと手を引いて誘ったがそのまま行ってしまった。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町
77 NG428-02 何とかつぶれた家から抜け出すと松の木に火の気もないのに火がついて燃え出していた。 杉本 知佐子(スギモト チサコ) 1945/8/6 幟町の自宅
78 NG451 放送局前でラジオを抱え待っていた人たちのやけどした真っ赤な顔 和久野 幸子(ワクノ サチコ) 1945/8/6 広島中央放送局前
79 SG-0333 猛火の中を綱を取り合い脱出してきた親子 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 薬研堀~鶴見橋付近
80 SG-0334 猛火の中を逃げる親子。母親は炎に飲み込まれた 藤岡 久之(フジオカ ヒサユキ) 1945/8/6 薬研堀・鶴見橋附近

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